海へ行こうか、柴田聡子と佐村河内守と 2016年7月25日 - 2016年7月31日

 

■海水浴と日本人/畔柳 昭雄

海水浴と日本人

 

 

有名かどうかにかかわらず並列に人名がたくさんでてきて説得力がある。想像でものをいわない。いい本

 

■新・批評の事情―不良のための論壇案内/永江 朗

新・批評の事情 不良のための論壇案内 (ちくま文庫)


お前の話はいいから

 

■HAB本と流通

HAB本と流通

 

三陸海岸津波 (文春文庫)/吉村 昭

三陸海岸大津波 (文春文庫)


何を扱ってもきれいな文

 

2016年7月25日 - 2016年7月31日

図書館で海の本が特集されていて借りて読んであっさり海に行きたくなってしまう。「三陸海岸津波」には海の美しさもきちんと描かれている。富山の友人:「ケンミンショーで観たんだけど奈良県の人は海が視界に入ると『海や!』って必ず言うってほんと?」これは恥ずかしいけれど本当だと思う。遠足の貸切バスで誰が最初に言うかみたいなのあったな。言ったらみんな色めき立つから。「海や!」「どこどこ?」「大和川でした~」フェイクを入れてくる奴もいた。水がたくさんたたえられていたらそれだけでおおと感じて「ほんまや海や!」とつられてしまう。

佐村河内守を追ったドキュメンタリー映画「FAKE」を観る。表題であるとかオチであるとか、衝撃のラストに関してあまり感じることはない。自分の名前で交響曲をどうしても発表したくて手書きのかっこいい指示書(佐村河内 指示書と入力すると「かっこいい」が続きの候補に出てくる!合理VS非合理!)とお金を渡して音符におこしてもらっていた時点で既に面白い。映画の前半で聴こえの問題を扱って、後半に著作権、作曲とはなにか、音楽するとはどういうことかを扱っている。別の問題だし、わたしは後半に興味がある。そういう疑問をもって氏のマンションにやってきたのがアメリカのメディアだったというのも象徴的だ。「一日何をして過ごしていますか?」「今仕事はされていますか?」「楽器の演奏はされますか?」「家に楽器はないのですか?」「キーボード、捨てる必要ありましたか?」「18年間、楽譜の書き方を覚えようとしなかったのはなぜですか?」

アオツキ書房での柴田聡子ワンマンへ行っても海や夏の歌が耳に入ってくる。会場は柴田聡子おじさんでいっぱいで圧倒されるが、柴田聡子のどの部分にやられちゃってここにいるかはわたしもこの人らもだいたい同じだろうしそんなふうに揶揄してはいけない。曲の最後フェイドアウトしていくときに弦をほとんど弾かずに手を振り下ろしたり声をほとんど出さずに口をパクパクされているのを見るのがなんか好きだ。ふと、カープファンの子に子供うまれたかなと頭に浮かぶ。状況が変わってもそのときの気持ちは昇華されて曲になっているのでナンセンスな疑問だ。