二階堂奥歯とぬいぐるみ

八本脚の蝶

 

学生時代BOOKOFFに行くと特大コミックの棚にこの人の本があって、背表紙だけは何十回と目にしていた覚えがある。
今考えると著作はこれだけなのに特大コミックの棚で見かけていたというのは妙。
コミックエッセイ/エッセイの棚とごっちゃになっていたのかな?
タイトル(奈良の大仏の足元の花器にとまってるらしいです!見に行かないと)
ペンネームもインパクト大で記憶に残っていた。さすが本の虫。
三分の一くらい他作品の引用なんじゃないかと感じるけど、それでいて強烈に個人を形作っているのが不思議。
村崎百郎の著作で
ひとりでブツブツ言ったり怒ったりしている人間は頭の中の誰かに執拗に話しかけられたり声に出して返事をしなければ殺すと脅されたりしている
というのを読んで、こういう受け止め方は万人に受け入れられるものではないだろうけど
でもあえて書くと あー教えてもらえてよかったわ、そういうことにしとこ
と腑に落ちてたまに人に話したりしている。この本のなかにもそういうのがあった。
それは、自殺する人間の中には自殺に成功するまで毎日のように違う方法を試していて、その結果としてビルから飛び降りたり走ってくる電車に向かって飛び込んだりする
という事実。ニュースになる度に「違う方法にしろ」という人がいて、そういうことじゃないと感じながらもそこまで想像できなかったのだった。

あとは、個人的に抱いていたぬいぐるみへの興味がつのりました。クトゥルーちゃんはじめ幻想文学に出てくる怪物のぬいぐるみと暮らしていたらしく、それに対する想いとか愛で方が興味深かった。「うちのクトゥルーちゃんはしゃべりません。ただいるだけ。」とか。しゃべる(設定の)ぬいぐるみがいることを念頭におきつつ、自分の愛で方がちゃんとある。クトゥルーちゃんは大人になって自分で買い求めたぬいぐるみで、中学生のころから一緒のテディベアも別にいる、とか。ぬいぐるみ文学もいくつか紹介されていたのでメモ。

くますけと一緒に (中公文庫)

 

ペン

 

ぬいぐるみを買って持ち歩くというのを思いのほか多くの人がやっていて

(大概落としたツイートでそれを知る。名前とか距離感とか、専用ポーチとかもわかる)

他人事のように眺めていたのだがちょっと前にかわいいのと出会ってしまったので

自分の中での設定、距離感、持ち歩き方など探っているところ。

名前はまだない。呼びかけたこともないので

「そうや!このカゴををこいつの家にしよう!」

と誰もいない虚空に向かって叫んだりしてます

(部屋でひとりで喋っているのはぬいぐるみ関係なしの通常営業)。

この間入ったバーでひとりカレーを食べていたら

マスターが常連の女性の連れているパンダのぬいぐるみにマフラーをプレゼントして

巻いてあげて皆で喜ぶという場面が見られて得しました。

「ぱんちゃんよかったね!」「ぱんちゃんかっこいい!」

ぱんちゃん:「え、これ、オレに…?」「いいのか…?」

「いいんだよ!ぱんちゃんに、だって!」

「似合ってますよー」「トラッドな感じですね」

ぱんちゃんの声も持ち主が発話してくれたので聞こえました。ああやって皆で遊ぶんですね。