板張りの床がギシギシいっていると「そこに役者がいるんだ」と緊張する

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スティーム・ピッグ/ジェイムズ・マクルーア

古いハヤカワミステリが図書館のアフリカ特集で書庫から出てきていた。

渋い言い回しが楽しい

 

話す写真/畠山 直哉

話す写真 見えないものに向かって

話題が縦横無尽だなーと思ったら震災前

 

日本人の鼻/高橋 良

日本人の鼻―鼻の文化人類学 (1980年) (ブルーバックス)

専門的に切り込んだと思ったら後半、思いつきや主観的な意見が出てきておおらかな本

 

猟奇的ピンク「ただいま」観劇

団員の方が「映画は安い。演劇の公演は面白いかわからないのにそれより高い」
という旨のツイートをしていたのが頭にずっとある。
実際に他団体の公演へ足を運んでもそう思ってしまうことがあったが、
今回も満足できた。その差はなんなんだろう。単なる好みの問題なんだろうか。
何を求めて観劇するのか。例えば映画では得られないものは何か。


舞台の構造を生かした演出や、小道具やカメラを使ったしかけに興奮する。
会場のCafeSlowOsakaは舞台上に階段や小部屋があって開演前から既に面白い。
他団体がどう使っているかも見てみたい。
板張りの床がギシギシいっていると「そこに役者がいるんだ」と緊張する。
物語が進むにつれて音は気にならなくなった。
キスシーンを目の当たりにするとこの年になっても「あっあっ」となった。生はすごい。
ピアニストが劇伴を作曲、生演奏していて聴きごたえがある。
「frascoの海」ではギターが使われていてそれもよかった。

 


「frascoの海」の会場の油野美術館に入って驚いたのは客席が10席ぐらいしかないことだった。
誘い合わせて来たのは一組で、あとはひとり客で、それぞれ開演をじっと待っていた。
急に自分の話をするけどこういうお客さんの前で楽器を演奏してみたいと思った。
義理でも年中行事でもなく*1足を運んで、チケット代を払って
舞台上で起こることを見逃すまいと息を殺しているあの客層の雰囲気が忘れられない。

 

*1:クラシックの客層って様式美というか、プログラムに関係なくチケットあるから来た、とか今夜はクラシックのコンサート、みたいなノリの人が一定数いて…というかクラシック自体が様式美?混乱してきた…