0512-0518

5/12(木)
起きたら8時前。コーヒーをいれて、くるみ食パンにチーズをのせて食べた。雨。一度気になりだすと傘の先端を人に向けて持っている人ばかり目につく。

通勤電車の中で幸田文『草の花』を読んだ。

草の花 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

どこがどうとは言えないが、好きな文章。トラックを流して朗読しようかな。

職場にて、弁当はきのこの炊き込みご飯、ツナと小松菜の炒め物。柚子胡椒の味。

やがて退勤。帰宅、風呂。夕飯は鍋。ポン酢がない鍋はわびしい。餃子のタレを使ってみたが違った。締めに汁なし辛うどんを作ってみたがこれも違った。辛ラーメンの粉を使っているので味は同じなのだが、のどごしが良すぎる。あの麺がいいようだ。

食後、ピクシブコミックでねむようこ『こっちを向いてよ向井くん』を読む。男性陣の善良さとわかってなさが絶妙だ。この内容で向井が主人公なのも、こうして連載が続くとものすごいことに思える。その後CINRAの記事を読んで春ねむりの「春火燎原」収録曲のPVを視聴。高揚するが、どこか神妙な気持ちにもなるスクリームだ。シャウトの一段階向こうにスクリームがあること、それを春ねむりが取り入れたことを記事を読んで理解。

5/13(金)
時間ギリギリまで寝る。コーヒーをいれて、くるみ食パンを食べる。午前休をとって通院。ワクチン接種する人も、検診を受ける人もいない閑散とした待合室。帰ってまたゴロゴロする。昼食はツナキムチうどん。昨日どこかちぐはぐだったことを思うと、完璧な組み合わせのうどん。正午、出勤。定時、退勤。帰宅、風呂。夕飯はしらすと新じゃがのガレット、さといもゆかりあえ、焼きキャベツ(花山椒をかけた)、ミックスナッツ、うなぎボ~ン。夜中、うなぎボ~ンの食べすぎで胃がもたれる。うなぎボ~ンを検索すると「太る」と続く検索候補が出てくるので、他にも食べすぎる人がいるのだろう。食感が軽いので揚げ物であるということを忘れる。

5/14(土)
コーヒーをいれて、うなぎパイを食べた。電車に乗って外出。

車内では『シモーヌ』を読んでいた。

シモーヌ(Les Simones)VOL.5

日記特集。海外の古い作品も選出されていて、ここでしか読めなさそう。

昼食はサッチェズカリーでとった。キーマカレーごぼうが入っていておいしい。うるさい客がいたが、BGMのボーカルがどんなに高音でも原曲キーまで鼻歌の音程をあてにいくので感心した。13時ラテラル着。扇町からすぐだが、急に繁華街に入って驚く。14時の開演まで読書の時間を確保したつもりなので、ミラーボールの下耳栓をして意地で遂行した。ワンドリンクでレッドアイを注文し、今シーズンのレッドアイ始め。いしゃどうさんの第二歌集『感電しかけた話』の発売イベント。私の中ではツイッターの人なのでおもしろツイートの話題があって嬉しかった。ツイートの面白さとは何か、この方から多大な影響を受けている。土岐さんはいい人、という話題から「いい人には嫌な話が集まってこない」という話。嫌な話は面白い話だとも話されていた。自分が行儀よくしないで、下品だったりひんしゅくをかうようなことを言ったりしていたのは面白い話を集めたかったからなんだと思った。

どこかに寄ろうと何駅か歩いたが、頭の中がジャワティーとシフォンケーキでいっぱいになってしまったのでひとまず帰路についた。先ほどのトークで出てきたいしゃどうさんの好物。スーパーに寄ってクインシーを買う。広義のシフォンケーキ。「こんなの食べたことない!」「騙されたと思って一度ご賞味ください!」となぜか大プッシュされていた。呼び込み音声でふわっふわと連呼されていた通り、ふにゃふにゃすぎて袋の中で自立しない。帰って食べてみるとナイススティックだった。生地が違うので、選択肢が増えて嬉しいなという気持ちはあるが、未知の食べ物かのような煽り方をされると警戒する。買うしおいしいけどお前のしたことは忘れないからな。

5/15(日)

先週に引き続き土曜の明るいうちから日曜の朝まで寝てしまった。コーヒーをいれて、ツナコーントーストを食べた。昼食はチキンラーメン。おやつはフレンチトーストで、夕食はツナポテトカレー、キムチ納豆。洗濯ができてよかった。ドラッグストアへ行ってうどん、辛ラーメン、トイレットペーパー、食パン等買う。麺類を買い込んで夏支度。

5/16(月)

コーヒーをいれて、シナモントーストを食べた。家を出て、通勤電車の中で『韓国フェミニズムと私たち』を読む。

韓国フェミニズムと私たち

この青色は韓国フェミニズム関連の連帯の色だったりするんだろうか。『わたしたちにはことばが必要だ』の原著のクチビルのキャラクターがかわいい。

韓国語の本, 女性学・社会学/우리에겐 언어가 필요하다 - Lee Minkyung/フェミニズム/입이 트이는 페미니즘/韓国より配送

『脱コルセット』で着飾り労働の不公平さを読んでもなお、同じエレベーターに乗り合わせた女性社員の私服をかわいいと思う。自分ならお腹の苦しそうなレギパン、踵の露出した華奢なパンプス。本人が好きでやっているとしても、身体の痛みが存在し、それを我慢しているはず。自分ひとりで快適さを追求するにとどまらず、女性どうしで脱コルセットを進め合い、意識を変えて社会構造の変化を目指すのがコルセット運動だというようなことが書いてあって悩ましい。まだこの人達も髪を切ればいいとか、スニーカーを履くべきだとは思えない。

昼休み、Tverで関ジャムのaiko特集を見る。TMが教えてくれた。見る前に自分がテレビ番組のお約束、前提などあらゆる要素が無理になりつつあることを思い出してちょっと不安になる。煽りやタメ、コスりなど。笑いや共感でさえ過剰に思える。音声だけ聞くことにした。歌唱映像が全部ライブバージョンでちょっともったいない気がしたが、ワイプも声が被さってくるのも嫌だから仕方がない。岡野昭仁が「琥珀の弓張月」をカブトムシのフォルムのことだと思っていたのがよかった。

岡野昭仁といえば紅白の時にステージ裏でGパン姿でいるaikoに「早よ着替えてこんといけんよ」みたいな声掛けをしたというのを『aikobon』のどこかで読んでずっと覚えている。aikoはもともとGパンでステージに上がるつもりだった。そのまま出場。生放送を見て「この子Gパンで出てる!」「ポケットに携帯もささってる!」と目を細めていたのは私の父親だったか。気恥ずかしいような、誇らしいような気持ちだった。オーバーオール姿で花火のプロモーション中「キャラ先行の子でしょ?なんか面白いこと言ってよ」と言われたaiko。紅白初出場時にGパン姿で堂々とパフォーマンスをしたaiko。まだ20代だったことを考えると胸がキュッとなる。

これだけ気をつけたのにうっかりキムタクがボクシング部顧問のドラマの予告CMを見てしまい、スパークリングで顔面を思いっきり殴られる(「なんで当てんだよぉ!」という怒号が被さる)悪意の充満したシーンが頭から離れない。

午後、「え、めっちゃたらい回しにするやん」と思って「え、めっちゃたらい回しにするやん」と言った。書類の提出先を周知しないから嘘の宛先の付箋が貼ってあり、届けた人間が割を食う。毎度敬語に変換することができずギョッとされるが、変換している間に口ごもってしまうので先に口に出すことにしている。案外効果があって、とりあえずたらい回しにされにくくなる。板挟みになってご愁傷様ではあるが、私より情報も持っているし発言力もあるではないか。

やがて退勤。帰宅、風呂。夕飯は白飯、豚汁、キムチやっこ。

5/17(火)
コーヒーをいれて、レモンチーズトーストを食べた。ラジオからはベートーヴェンの三重協奏曲が流れている。あまり聞かないが、演奏機会が少ないのだろうか。フルオケにソリスト3人。中途半端に経費がかかるとか、それなら他の、聞き映えする大編成の曲ができるとかが理由かもしれない。

家を出て、電車の中で堅田香緒里『生きるためのフェミニズム』を読む。

生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義

パンがお金でバラが尊厳。バラがパンを与えずにすむよう目くらましに使われることがあるという指摘。この視点を持てるとまやかしに踊らされずに済みそう。

職場にて、エレベーターの中で4月に入ってきた新入社員の女性に服装を「いいなと思って見てます」と言われて舞い上がる。たまにカジュアル志向だったり、ストリートファッションが好きそうな同性にこういうことを言ってもらえることがある。少数派なりの連帯?うーん、でも今は心が引き裂かれそうだ。弁当のおかずはジャーマンポテト、卵焼き。

やがて退勤。車内に眼光鋭く大荷物の年配の女性がいて、いつもは見かけない人だとか、なんだか圧があって嫌だなと思う。上記の本はホームレス状態の女性の撲殺事件がきっかけで書かれたということを今朝読んだばかりなのにそういうことを思う。電車から降りて栗の花が開いていることがわかった。毎年すごい匂いなのでどこかで大量に開花しているはずなのだが、出所がわからない。20年近くこの駅を使っていて、栗の花だとわかったのはここ5年くらい。直接ではないが、私に栗の花の匂いを教えてくれる人はツイッターの中にいた。帰宅、風呂。夕飯はコムアンフー。鶏キムチをつくって添えたのだが、冷凍した材料を溶かしている間に疲労がドッと出てきて食後楽器を弾くことができなかった。ラジオからはブラームスのヴァイオリン協奏曲とチャイコフスキー交響曲第5番が流れていて、聞いて楽しんだ。横になりたいだけ横になって寝たいだけ寝ればいいような気もするが、日中思い描いていたような過ごし方ができない日が多くなってきた。

5/18(水)

よく晴れている。窓を開けるとさわやか。「風が薫っている!」と思った。もうすぐ夏というか、酷暑や豪雨など、夏という語のイメージには収まりきらない要素を合わせ持った、アウトドアのできない季節がやってくる。もうカレンダーに関係なく余暇の予定を組んだほうがいいのではないか。無理矢理どこか行こうかな。コーヒーをいれて、コーンマヨトーストを食べた。曲想によるのかもしれないが、大きくて華やかな音のピアノ演奏がラジオから流れていた。どんどん耳に入ってくる。反田恭平だった。

家を出て、通勤電車の中で大前粟生『私と鰐と妹の部屋』を読んだ。

私と鰐と妹の部屋

逆上がりができてもできなくても先生からは拍手がもらえる授業。誰も見ていないところでできた逆上がりの喜び。動画投稿によってデジタルタトゥーとなってしまったクラスメイトの過去のアイデンティティ。「むだんてんさいしゃども」に立ち向かい、ずっとクラスメイトを守っていこうという連帯。現代的な作品の間に差しはさまれる「ミニモニに入りたいです!」

駅から職場へ向かっていると、同じ職場のおじさん社員と20代女性社員が連れだって歩いている。このおっさんは相手をしてくれそうな女性社員がいると、なんやかんやで時間を合わせて毎日のように駅から職場まで一緒に通うところまで持っていく、ということを10年近くやっている気持ちの悪い奴なのだ。今の女性社員は3代目くらい。先々代にはLINEで調子に乗って下ネタを送って愛想をつかされた。ガールズバーに行かずに女性社員にチョッカイをかけて細切れに願望を満たしているのだなと考えると消えてほしくなる。勇ましい気分で2人に続いてエレベーターに乗り込むと、先に乗っていた女性社員に対してちょっとした奇声を上げたり、無意味に呼びかけたりしてまたチョッカイをかけている。お約束でもないらしく、反応は苦笑いだ。なぜそんなにつまらない手口でかまってもらおうとするのだろう。恥とかないのだろうか。「やりにくい(笑)」と割って入ると女性社員らにややウケたので調子に乗って「やりにくい、朝から、ほんまに」と被せると空気が凍った。女性社員には申し訳なかったが、私の目の届くところでチョッカイを出せると思わないでほしい。つまらなくて黙ってほしいときに「やりにくい(笑)」と言うと「黙れ」と言わずして黙ってもらえるというのは20歳くらいの時に発明したが、その時は自分に言われていない場合に割って入ることは想像していなかった。笑いがわかっている人間が使うとされる語彙だから、笑いを取りたい人間に対して自動的に優位に立てる。こうして考えると嫌らしい成り立ちだ。職場にて、弁当のおかずはカニカマとピーマンの生姜炒め、さつま揚げ、めかぶ、とろろ。

やがて退勤。帰宅、風呂。夕飯は白飯、キムチ納豆、こんにゃくとピーマンとしいたけの炒め物。にんにくマーガリン醤油の味。食後、楽器を弾く。練習のために速度を落として音源を流すならピアノ編曲版だな。葵トリオのピアニストが自分の楽器の好きなところを「音が減衰するところ」と言っていたが本当にそうだ。