0316-0322

3/16(木)
朝、ミルネージュ、プルーン。昼の弁当のおかずはウインナーとかぶの炒め物。白だしの味。夜、スパゲッティナポリタン。

通勤電車の中ではユリイカの「女オタクの現在」特集号を読んでいた。オメガバースという様式を知って衝撃を受ける。

ユリイカ 2020年9月号 特集=女オタクの現在 ―推しとわたし―

風呂あがりに髪にドライヤーをかけながら読んだ『平成音楽史』の中で片山杜秀アマオケがミャフコフスキーの交響曲を取り上げていることに驚き、アマオケ全体に期待の目を向けている。

平成音楽史

ロシアのプロオケですら取り上げないような選曲をして練習に取り組んでいるということは団員全体の知識やモチベーション、演奏技術も高いということという解釈には注釈を入れたくなるところ。山田一樹もアマオケに無邪気に期待を寄せていたことが思い出されるが、もうプロオケには資金源がないのだろう。アマオケの資金の出どころは団員の財布なので、選曲の自由度がプロオケより高い。

3/17(金)

朝、フレンチトースト。昼、ダルバート。夜、なし。
通勤電車の中では中村昇平『ムラからカンプンへ』を読んでいた。

ムラからカンプンへ―京都郊外の先住者がみたジャカルタ郊外の集落 (ブックレット《アジアを学ぼう》)

このシリーズのあとがきには、謝辞のよさが詰まっている感じがしてグッとくることが多い。若い研究者のシリーズだから初の単著だったりするのかな。

退勤して大阪フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会へ行った。指揮者はカーチュン・ウォン。ソリストコパチンスカヤコパチンスカヤを一目見たくて足を運んだ。白い長袖のドレスをたくしあげ、もう片方の手でヴァイオリンと弓と楽譜を全部持って頭上に掲げて入場。おそらく弓が他の団員や楽器に当たるのを防ぐため。足を踏み出す度にトレードマークの素足がちらっと見える。演奏中の動きはずっと機敏で、すぐ後ろに座っている奏者に躍り掛かるような場面もあった。強風に揺れるドアのような勢いのある動き。長い休符があるのに、また身体をバッと翻してコンマ数秒で踏めくりをする。演奏中でなくても音楽のただ中にいる。プログラムをろくに確認していなかったが、大満足の一夜となった。弦楽合奏の響きを堪能し、大学オーケストラで取り組んだ曲の魅力を再発見。コンビニ発券のC席は2階席の最後列。舞台全体が視覚的に俯瞰で見られると、聴覚的にもオーケストラスコアを眺めているような捉え方ができて気に入った。遠い感じはするが、拍手の響きがきれいではっとした。隣と前が空席だったのもラッキーだった。コパチンスカヤに盛大な拍手を送っていた隣の席の男性は休憩後帰ってしまったが、メインの幻想交響曲もよかった。大フィルの管楽器奏者の顔が大学オケの同期と重なる。もう絶対共演できないと思うと、みんなうまかったな。

3/18(土)

朝、納豆ぶっかけうどん。昼、なし。夜、ぶりとトマトのスパゲッティ。にんにくと粗切りトウガラシと塩こんぶとオリーブオイルの味。

朝ご飯を食べてまた寝て起きたら16時だった。風呂に入ろうと服を脱いで、脱いだ服をたまった洗濯物とまとめて洗濯機に入れたところでなぜかスイッチが入って全裸でクイックルワイパーをかける。18時前に夕食。冷蔵庫はスッカラカンだが、あるものでおいしくできた。本屋プラグラジオを聞きながら洗濯物を干す。その後スーパーでZINEの増刷。5円コピー機さまさまだ。小松菜、新じゃが、さつまいも、みりん干し、さわら、豚肉、ビアソー、ピザトースト、食パン、卵。卵は普通にたくさん積んであって安心した。いったん家に帰ってまたドラッグストアに行き、トイレットペーパー、ジョイ、ボディミルク、しゃりもにグミ、豆腐、ベーコン、味の素の冷凍ギョーザ、おきゅ膏、バタースコッチサンド。ブルボンの商品で、冬季限定商品のミルネージュのあったところに替わって並んでいた。帰宅。らじらーを聴きながらZINEの製本作業。今日は岩崎大昇と作間龍斗。リスナーの考えた胸キュンセリフ言わされコーナーを蹴散らしていて痛快だった。

ZINEイベント「OsakaZine+DIY Fest」にZINE関係の知り合いが数人参加していて、ツイッターで情報が入ってくる。私も寄稿している『個人的な生理のはなし』を販売しているぽんつく堂さんに、お客からの失礼な声かけ。「前もってセーファースペースポリシーを掲げ、すべての人にとって差別や決めつけから解放された場所を作ってくださっているということが分かっていたから、毅然とした対応がとれたのだと思います」とツイートされている。ぽんつく堂さんに影響されて個人的なZINEを発行し、販売を委託している私にとってズシンとくる出来事。「『興味本位で読める生理の本』を銘打っていますが、それは堅苦しくなく気軽に読めるという意味で、ネタにしたり茶化していいということではありません」ともツイートされている。「ノーブラZINE」と大書してはいるが、「今してますか?」に対してはムッとしてしまった。自分でもここに並べて書くほどではない気もする。ずっと後からその感情にはまる言葉をネットで見つけて心の中で言っていて、それで一応ケリがついている。坂上忍の「恋とかするの?」に対するフワちゃんの返し。あんた、この関係性で教えてあげるわけないじゃん。

3/19(日)

朝、レモンチーズトースト。昼、マカロニサラダ、キッシュ、助六チキチキボーンの皮チップス、金麦。ライフの総菜コーナーはおしゃれな総菜多し。おやつ、ブラックサンダーのシュークリーム。夜、豚汁、白飯。具を入れすぎ、かつ肉じゃがと並行してつくろうとしたからか火が通りきってない豚汁になってしまった。こんなことなら味噌汁に肉を足しただけの簡易豚汁のほうがおいしい。そう思って翌日にまた豚汁をつくって食べている。

11時の待ち合わせまで、昨日買った食材の下処理をしたり弁当のおかずを作ったりしていた。当たりの配信ラジオ「当たりのこえ部」を聞きながら。前回の放送で「女オタクのほうが多い現場には行ったことがなくって・・・」と躊躇していた大橋さんが、現場に出入りするどころか他のオタクとステッカーの交換に勤しんでいた。全60種でランダム。「買取『も』受け付けます」「買取なし、交換のみ」。推しのステッカーと交換できるレートをもつステッカーをお金にしてしまう訳にはいかないから、という解説。「私は毎晩何をしてるんだろう」「二次元のオタクでステッカーオタクはいいけど三次元のオタクでステッカーオタクはイヤ」という戸惑い。大橋さんのオタク語り、暮田さんのリアクション込みで本当に面白い。

駅前の階段の上から彼氏がどこから歩いてくるか見回しているといつの間にか後ろに迫っていた彼氏から「おいおい」「おーい」「おい」「おーいおい」と15秒くらい呼びかけられ続けていたがずっと無視していた。変質者かもしれないと判断すると見向きもしないという習慣が自分の中にあることに気づく。彼氏は実家の飼い犬を連れてきていた。散歩しようというのは犬の散歩だったのか!そのままラグビー場のある運動公園へ向かう。ペット全般苦手な私、普段は親御さんが世話をしているため犬の序列の中では下部にいる彼氏、そして柴犬のK。彼氏の左側をとられた(と感じてしまう)私をはじめ、ヒトの足取りがぎこちない。その状態で公園内のドッグランに入っていく彼氏。私は柵の外から見ていたが、彼氏もリードを手から放すことはできない。名前を呼んでも彼氏のもとには戻ってこないらしい。隅っこで座って柵ごしに会話。そこから他の犬を眺める謎の一行になっていた。たまに他の犬が寄ってくるが、たいていKが吠えかかってしまう。紫のハーネスが似合う黒いパグがホテホテと何度も近寄ってくるが、受け入れられないK。「こらマメ!だめ!嫌がってるでしょ!」飼い主の家の子に何度も理不尽に怒られるマメ。あまり意に介していない風にも見える。親御さんに連れてこられていたら、この場に慣れていたらKももう少し落ち着くのだろうか。「こないだ行ったドッグランではお金持ちそうな家の犬3匹と仲良くなった。こーんな鼻してるやつ」。
私がライフでお総菜を買ってきて、階段状になっている席で食べた。食べ終わっても長いこと、広場で遊ぶ人々を眺めていた。親子キャッチボールの「センスの塊」の子。マクド大量買いの子連れ2家族合同ピクニック。足けりバイク、ソリ、自動シャボン玉機、凧。遊び道具が次々に出てくる。大人もスマホを置き去りにしてバドミントンに興じている。いつまでここで座っているんだろうと思うが、彼氏もKもくつろいだ様子でいる。Kが膝に頭をのせてくれたのが何ともかわいかった。遂に撫でることはできなかったので、今日も犬相手に人見知りをしてしまった私。こんなにゆっくり犬と過ごしたことはない。犬好きな老若男女が(いけそうなら)触ろうと近づいてくるのも新鮮だった。「うちも芝がいるんですよ」と話す年配委の女性は水道に近づいていく私らに、何メートルも手前から笑顔を向けていた。そのすぐ後にすれ違った、「体力は、まだあんねん・・・」と力なくつぶやいて「その体力を出しや(笑)」と母親に言われていた男の子が「かわいい・・・」とこちらに引き返してきて体力の話が終わり(もう少し聞きたかった)「触りたいんか?」と母親。「ええで。はい」と彼氏。「『はい』やって」と彼氏の言い方を拾う母親。私もちょっと面白いと思った。男の子が指でKの頭をちょっと撫でてパッと離れて母親の陰ではにかむ。「もうええんか?」「うん」「もうええんか(笑)」と一同。私の犬とのコミュニケーション能力はこの男の子以下である訳だが・・・。場をつなぐために母親がしゃがんでKをひきとってわしわし。この人は犬を触るのがうまくて、Kも気持ちよさそうに見えた。帰り際、彼氏に「トイレ行く。これ持ってて」とリードを渡されてパニック。駐車場の近くで、よその犬も次々通る。小型犬との相性が特に悪いらしく、昨日の散歩中は噛まれてしまった、とチワワとミニチュアダックスフントが視界に入る度に彼氏が警戒していたので何かあったらと怯える。早く早くと念じながら泣きそうな気分。Kも若干不安そうに彼氏の消えていった男子トイレの入り口をじっと見ているのに気づいてからはちょっと落ち着いた。家に帰ると彼氏から「エサあげる前に寝た」とガレージで前足に顔を埋めて目を閉じるKの写真が送られてきていた。

3/20(月)
朝、ピザトースト。昼、弁当のおかずは小松菜と油揚げのおひたし、さわらと新じゃがの炒め物。羊名人とポン酢の味。夜、ピーマンとトマトの豚汁、キムチやっこ、白飯。

通勤電車の中では大前粟生の歌集『柴犬二匹でサイクロン』を読んでいた。

柴犬二匹でサイクロン

「国敗れて山河あり」のあとに「二軍のペン」がくるのが好き。あとがきの「短歌は何でも詠んでしまえて怖いかも」「たとえば『祈り』や『光』といった言葉が、その音律をしているというだけで短歌に採り入れやすいものとして頭に浮かぶ自分は、かなり軽薄であぶないのでは」というおそれ。こういった感覚を頼りにして大前粟生の小説を読んでいる。先日開催された大阪アジアン映画祭で、映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」の質疑応答コーナーで監督がクソ客によって質問とはいえない持論をぶつけられ、司会やスタッフもそれに同調するような態度をとったという。スケジュールが合わなくて行くのを見送った映画祭。コンペにはアジア中から魅力的な作品が集まっていて、スケジュールのページと手帳を何度も見比べていた。客はともかく司会もそんなだったとは。なら国際映画祭でもその構造がかいま見える瞬間はあったが、決定的な事件が起こってしまった。映画祭より作家のほうが立場が弱い。こういうことがある度に山形ドキュメンタリー映画祭と比べてしまう。淡々と、しかし説得力のある言葉を紡ぐ人が多くいる場でクソ客はきっとおとなしい。

3/21(火・祝)

10時前に起きてカフェラテを入れ、さつまいもとのりトーストを食べた。溜まった日記を書く。ラジオからは小原孝の演奏するブルグミュラーが流れてくる。ピアノを習っていたころに取り組んだので親しみのある曲だが、記憶の中の自分の演奏とレベルが違いすぎて神妙な顔になってしまう。14時をすぎてからうどんカルボナーラをつくって食べ、パスコの菓子パンダブルメロンを食べる。NHKの聞き逃し配信サイトらじるらじるで「弱さから読み解く韓国現代文学」、ラジコで「佐久間大介の待って、ムリ、しんどい」、「メモリーズ&ディスカバリーズ」。らじるらじるもラジコもアプリケーションを入れさせようとしてくるが、PC版サイト表示にすると再生できる。standFMで「当たりのこえ部」、「濱田祐太郎の盲目ライフを盗み聴き」全盲で服をどうやって買うか。同行者に説明してもらう。白鳥さんのアート鑑賞のようだな。似合ってると言われたらそれで決めることも。「小学校の頃右目ちょっと見えてて、青色好きやったんで青とか」「チェックとかボーダーはわかる、ギンガムチェックがわからん。ペイズリーも」夕飯は失念。

野中英二が確か『しゃぼてん』で描いた、サッカーに全く興味ない人の集まる部屋の野球バージョンを夢想。しかし豆腐のようなただの立方体の絵だったし、集まってもロクなことにならない気がする。3日くらいワープすれば充分だとわかってはいるのだが。

3/22(水)

朝、なし。昼の弁当のおかずはポークチャップ、スクランブルエッグ。夜、ツナキムチうどん、ベーコンときのこの炊き込みご飯。通勤電車の中では木下龍也『オールアラウンドユー』を読んでいた。

オールアラウンドユー

いまいち短歌の味わい方がわからなくて会社に着く前に最後のページまでめくってしまう。書評を探してグーグル検索すると、当たりの配信ラジオに出演していた青松さんのアオマツブログがヒットした。嫌いな歌について書かれていると、自分にとってはとっつきやすい。ブログ内検索で「伊舎堂」と検索すると、2019年くらいの記事がヒットして伊舎堂仁のファンであることを公言されていた。

今年度に入ってから職場が移転して早く家を出なければならなくなりNHKFMの7時台はニュースだがそれは嫌で、来年度も6時台は古楽の楽しみではなく英会話のままなので身支度しながら聴くものを探している。起きてラジオのスイッチを入れたら好きな番組をやっている、という状態がベストなのだがアーカイブの中から選ぶしかないのか。TOKYOFMのMemories&Discoveries内のクラシックコーナーで音楽制作プロダクション「ノモス」代表 渋谷ゆう子が、 「映画エゴイストとチャイコフスキー」というテーマで話したというツイートを見かけてそれを流す。ゲルギエフ指揮、ウィーンフィル演奏の悲愴をかけていた。同じ音源かは明かされなかったが、映画内で悲愴が印象的に使われているという。「チャイコフスキー」の何なんだろうと興味を持って番組を聞いたが、交響曲か。鈴木亮平演じる主人公が自分でプレーヤーから選んで、自室で聴く場面があるという。