0427-0503

4/27(木)

朝食、フレンチトースト。昼食のお弁当のおかずはギョニソとピーマンの炒め物、パプリカの酢漬け。夕食、豚キムチ丼。

通勤電車の中では『中原中也必携』を読んでいた。

別冊国文学No.4 1979年 中原中也必携 吉田 凞生・編● 中原中也、思い出すことなど大岡昇平●事典・中也詩と故郷中原思郎●作品別解釈資料

先週ギブミーブックスに出店していて笙古書店で買った本。山口旅行にそなえて、平置きされていた中也の本を眺めていると「中也だったらこっちにもありますよ」「こっちの方がおもしろいです」とすすめてくださった。70年代の本で、関係者が存命。記憶や書簡を根拠に、それぞれの持論をたたかわせていたりして熱い。反論は雑誌や著作の上でおこなう時代。 笙古書店でいただいたフリーペーパー「笙通信」。これも読む。文章というか語りに引き込まれる感じがあっていい。縦書きなのもいい。きれいな文字組ですね、と声をかけると「一太郎が頑張ってくれました」と言っておられた。

4/28(金)

朝食、レモンチーズトースト。昼食の弁当のおかずはカニカマ玉、鶏皮チップス、パプリカの酢漬け。ドラッグストアで発見したチキチキボーンの皮チップスではない鶏皮チップス、申し分ない味。ご飯にも合う。3月の初旬、アマオケの演奏会(出る方)の帰りに「あー疲れた、ビール飲みたい」と口に出すとMが「よけい疲れるのに・・・」と同世代を哀れむような目を向けてきたのがそれ以来ずっと気にかかっていて晩酌が減っている。飲もうかなという気分になるとすかさず「よけい疲れるのに」という声が割り込んでくるのだ。その日もおいしく飲んだし、たまに飲んだ日も体調を崩していないのに。そういうわけでおつまみを弁当のおかずにしている。夕食、スパゲッティナポリタン。

通勤電車の中では宮本常一『私の日本地図9瀬戸内海Ⅲ周防大島』を読んでいた。

瀬戸内海III 周防大島 (私の日本地図 9)

堤防ができる前の、「波しぶきが屋根の上にふりかかる」、海に近しい暮らし。単なる懐古趣味になっていないところが味わい深い。 帰宅後もYCAMトークイベントのアーカイブ動画を見ながら宮本常一の本を読む。予習に追われている。

4/29(土・祝)

二度寝してしまいなんとか起きて飲まず食わずで電車に乗って職場に着いたら駐車場にチェーンがかかっていて、またいで玄関の前まで歩いていったが自動ドアが開かない。そこで祝日だから休業日であることに気づく。未練たらしく社内チャットで根拠を見つけようとするが、自明のことなので誰も何も言及していない。駅前に引き返しベンチに座ってとりあえずツイートし、友人に「誕生日おめでとう!祝日なのにまちがって会社に来てしまった」と自分本位なメッセージを送る。お腹が減って頭が働かない。11時から見たかった映画があることがわかり、電車で移動。駅前をウロウロウロウロして公園をみつけ、コンビニに入って黒コッペパンアメリカンドッグを買い、ホットスナックを注文した後にコーヒーも下さいと言うタイミングを逃し、複合機でオカワダアキナさんのネットプリントを出力し、コンビニから出て自販機でコーヒーではなくおでん缶を買い、公園に戻ると手頃なベンチは埋まっていて、駅ビルの裏のベンチに座ってオカワダさんの小説を読みながらさっき買ったものを食べた。アメリカンドッグをかじるとセブン-イレブンそのものの匂いがした。揚げ物とコーヒーの匂いかと思っていたが、アメリカンドッグそのものの匂いだったのか。その後映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』を鑑賞。マンションの一室の暗がりの中で聞き取り不能なほど高速の読み上げ音声が流れ、呼び鈴が鳴って、白鳥さんが玄関まで歩いていき、灯りのスイッチをつけてドアをあける。契約している新聞の集金。支払いが終わり、集金担当者が帰るとまたすぐスイッチを消す。部屋に入ってくる訳ではないのに訪問者のために灯りをつけて出迎える。この導入で面白さが確約されたようなもの。3人で蕎麦を食べていて、カットが切り替わると白鳥さんの口元がマスクで覆われている。「ごめんねーまだ私食べ終わってないんだー」。白鳥さんにとって、同行者に絵の説明をしてもらうことは目的ではなく手段だということがよくわかる映像だった。「彼女と美術館デートをしないとと思って」「なんか人がいっぱいいそうなんだけどみんな静かにしてて」「美術館が好き」。その後MOMOBOOKSへ。「もっと映画館に近いとこがよかったんですけど」と店主。本棚や特集コーナーに夢中で数秒しか座っていないが、お店の規模に対して椅子がたくさんあって安心。山本アマネさんのZINEを買った。また寄りたい。遅い昼食をブンブンスパイスカレーでとった。カレーの他にBGMの邦ロックを求めてこの店に立ち寄っている。案外少ない。中年男性が親と来ていて、談笑するのはいいが声がでかく、親子ともどもあらゆる親戚を勤め先や病名で認識していて嫌だった。その後は千鳥橋に移動し、ギャラリーthe three konohanaにて加賀城 健+加藤 巧「Haste Makes Waste」を見て、シカクでシュロのZINEを買い、ココス。はしょるほどの充実。ブロードのシャツをかぶって雨をしのぎつつ出先で遊び続けた。夕食はココスのジャンバラヤ。デザートは濃厚ガトーショコラとバナナのクリスピースモア。ドリンクバーに置いてあるプラスチックのティーポットが手軽でかわいい。茶葉を買い置く習慣がないから見送ったが、レジで販売されていた。

4/30(日)

朝食、のりトースト。昼食、明太子うどん。夕食、中華料理屋で水餃子、ラム肉クミン炒め、魚の鍋、中華くらげ。 夜、OさんとYさんともちいどの商店街の中華料理屋で食事。店に向かう途中、駅ビルの隅に外国人観光客の男女数人がいるのが目にとまった。女性は頭にスカーフを被っている。男性が南都銀行のATMに向かって靴を脱ぎ、敷布を広げていた。お祈りが始まりそうなのでこっそり見ていたかったが時間がなかったので立ち去る。 横浜の中華街で入ったお店でも感じた、なんだか親しげだけど簡潔で意志疎通がパッとできる感じの心地よさのある接客を受けた。「どれがいい?」「甘いの?辛いの?」「それは無理(笑)」紹興酒をおいしいと思ったのは初めてだった。Yさんに「この汁はあまり飲むもんではないので、油で腹こわします」「米がほしくなるかもしれないです」と案内してもらいながら3人で白身魚と高菜の鍋をつついた。Yさんとは初対面。10年くらい前に行った、大阪の本町のレコード屋HOPEKENのトークイベントに店主のSさんとともにYさんが登壇しておられて、それが面白かったから小さな複合スペースのトークイベント、ライブに足を運ぶようになった。私が書いたものを読んで感想をくださった初めての人であるIさんがフリーペーパーを置いていたのもHOPKEN(で、私がペーパーを手にとってIさんのTwitterのアカウントをフォローしたことがきっかけ)と話すと「S君は自分が街遊びをしてきた人だからそのへんのことをすごく考えていた」とYさん。もうないHOPEKENに思いを馳せる瞬間があった。ノーシャンZINEを読んで下さったのか、湯シャンの話をふってくださって3人で話せた。湯シャンはノーブラよりキャッチーな気がする。Yさんの口から灰野敬二の名前が出たことにより、GEZANのような感じになりたくて切りっぱなしのスーパーロングにしていたことを話せた。スーパーロング時代には話すタイミングが訪れず、GEZANにもなれず、「ちゃんと美容室に行ったらいいのに。もったいない」等と言われるままになっていて悲しかった。そのことも話した。もうないロン毛をようやく成仏させられた気がする夜となった。

5/1(月)

朝食、昼食の弁当のおかずはひき肉としいたけと卵の炒め物。だし酢と鶏がらスープの味。ショウガとニンニクを入れすぎ。夕食は餃子。皮がおいしい。チューハイを開けようか迷いながらコンロの前で立ち食い、完食し、冷やご飯をどうにかして食べようか迷いながら横になってそのまま寝てしまった。夜はまだ部屋が寒く、すぐ布団に入ってしまう。

通勤電車の中では『中くらいの友だち』8号を読んでいた。

中くらいの友だち Vol.8(韓くに手帖)

山岸由佳「韓流ママさんバレーの世界」。この章題を見て買おうと思った。学校に部活動がない?から日本の部活動でスポーツをしていた人は「選手」扱い、試合の来賓の心象を気遣ってMIZUNO(日本製)のTシャツを着るのをやめるなど。読んでいる時に隣にいた女性が普段韓国で仕事をしているらしく、「1日と5日が祝日。2、3、4を有休とって(日本に)帰ってきた。5日は子供の日やから」「韓国にも子供の日とかあるん」「うん」と友達と話していた。

安物のマスクは息がしやすい。

5/2(火)

朝食、コーンマヨトースト。昼食、仕出しの弁当。夕食、ケンタッキー。 カーネルサンダース五月人形風の格好をしている。店員の工作センスが光っていた。通勤電車の中では宮本常一を読んでいた。

取引先のいくつかは休業しているので同じ部署の人らも時間に余裕がありそうだが、私の業務はゴールデンウィーク前進行となっていて追われていた。孤独な戦いかと思われたが、一緒に残業してくださる人に恵まれた。この人はよく気にかけてくれるし、何より「今、ちょっとだけひとりにしてほしい、その後は頭がマシにはたらく気がする」という状態の時にそっと席を外してくれている気がする。かなわないなと思う。 今の部署に異動してきてから、目がとても疲れる。今日は気の迷いでもらい物のロクシタンのハンドクリームを開封して使ってしまったので鼻も疲れた。 帰りにケンタッキーに寄って食べた後、テーブルの上に楽譜を出して黙々と書き込み作業をした。このために机と椅子のあるところに来た。近くのテーブルにばらばらの制服を着た高校生男女6人がいて、この人らは一年生で中学のときはみんな吹奏楽部だったらしい。この中に社会人になって何年も楽器を続けるような人はいるんだろうか。たぶん今一番中学が恋しい時期で、みんなそれを隠さない。男子の方が素直にそれを言う。「だから今すごい楽しい」。卒部式で号泣したのもこの男子。女子は「私の前後が涙腺ムキムキの人やったから泣けなかった」。何かの話題の時に「原作の作画だからかわいい!」という声が聞こえて作画っていう語彙は高校生の時の自分にはなかったしこのグループの今までの話題の中でも毛色の違う言葉だなと思って聞いているとなんとクレヨンしんちゃんの話だった。臼井義人が亡くなった時いくつ!?急に100パーセント共感できる発言がなされてうろたえた。なぜかはよくわからないが、この世代にも原作作画を支持する人がいるのなら今後も原作絵のグッズが出るだろう。

5/3(水・祝)

山口旅行1日目。

他人に発券してもらった切符を改札機に間違った枚数(全部で4枚、正:2枚 誤:1枚)突っ込んで遮断機に跳ね返され、かつ後ろにいた人の切符も一緒に出てきて気づかずに取ってしまいまごついているとその何人か後ろにいたおっさんに「はよせえや!」と言われて慌ててよけた。こいつも私と同じように、長期休暇に新幹線で旅行しようとしているのか。半袖半ズボン姿だったので旅行者だと判断した。4日間の旅の2日目くらいまではこの場面が思い出され、あいつは今どこにいるんだろうか、あんな奴にも旅先で会う人がいるんだろうかと考えたりした。どっかで死んでいたらいいのに、と頭に浮かぶが死を願うほどではないのは明らか。呪わしくおっさんの旅の現在地を思う瞬間が何度かあった。ホームで友人らと落ち合い、7時半の新幹線に乗った。ギブミーブックスのヒマールのブースで買った冊子をHに読ませるなど。

専門教育を受けた人が読んだらいいんじゃないかという内容だったので、どんな本かうまく説明できなかったのにちゃんと読んでくれて嬉しかった。そしてまた個人書店とそれが集まるイベント、そこで売られているリトルプレスやZINEの説明に苦心し、途中で投げ出したりした。

9時半、岩国駅着。郊外のだだっ広い新幹線の駅構内はところどころ時が止まっている。昭和の香りのイラストのついた観光地図、宇野千代コーナーなど。ひとつひとつ眺めていたら時間がなくなる。駅前にそれしかなかったのでは、という印象のトヨタレンタカーの店舗で手続き中、私たちのグループを担当しているのとは別の店員が事故を起こしたお客からの電話対応をしているのが聞こえてくる。「大丈夫ですよ、今どこにおられますか?」落ち着いた口調だった。実際に出くわすと衝撃が大きかったが、私以外の友人に運転を任せるので話すのはやめる。

岩国といえば錦帯橋。構造美に圧倒される。木造なのもいい。Hが橋そのものだけではなく、橋の上から長いこと下流を眺めて堰(せき)にえらく感心していて川には水質以外のよしあしがあることがわかった。橋をわたると急にコロッケ屋とソフトクリーム屋がいくつも現れて呼び込み合戦をしていた。私にしてはめずらしく「私はれんこんが好きやからコロッケ買っていい?」と宣言して先陣を切って買い食い。れんこんコロッケ、ショリショリしておいしい。HとKと並んで座ってコロッケを食べているところに、黄緑色のソフトクリームを持ったTが歩いてくる。キウイパイン味だという。その後、鵜(ウミウ)とシロヘビの生体展示とパネル展示を楽しんだ。この日、シロヘビの館で見た週間ストーリーランドのような不思議な味わいのアニメ映像を見ている時間がすごく長く感じられた。テンポが悪かったため。配信ラジオを聴きながら身支度、通勤しながら読書、ウェブメディアを読みながら食事、というように一日中ながら作業をする日々の中では非常にぜいたくに感じられた。長期休暇の醍醐味をここで感じた。山頂の岩国城と麓を結ぶロープウェーの乗り場には鵜飼いと鵜のからくり時計があり、からくり時計が先かロープウェーの発車時刻が先か、その場にいた十数人が全員それを気にする中満を持してからくり時計が動きだす。音楽を耳にしてゾロゾロと時計台のまわりに集まる観光客。ドナドナのようなもの悲しい旋律とともに、紐を持った鵜飼いの手だけが動くというミニマルな仕掛け。勝手に気まずくなった私が「あっ、思ったよりいい!」と斜にかまえた喜び方をしているとTが小さな声で「鵜飼いをやってるー」と素朴な感想を漏らす。その日一番笑った。そうなのだ、手しか動いていないのにちゃんと鵜飼いをやってるように見えてなかなかいいからくりだったのだ。

昼食はれんこん定食。れんこん麺、酢漬け、炊き合わせ、岩国寿司のセット。れんこん好きにはたまらなかった。この時点で15時。車で橋を渡って周防大島へ。島に入ってすぐ展望台へ向かう分岐があり、車での山登りが始まった。目と鼻の先に目的地があるが、とにかく傾斜が急で道も細い。端に寄ったり後退したりして何台か対向車をやりすごした後、どうにも身動きのとれないポイントで対向車が来てしまった。対向車が下がれるかもわからない。助手席に座っていたHが車を降りて颯爽と走っていった。Hが手招きするが、とてもすれ違えそうにない。おそるおそる対向車の車内を見ると、40代くらいの女性ひとりだった。「ぶつからないから進んできて」「いけるから」と車外からHが誘導。動くのも判断するのも腹をくくるのも素早い。こういう時運転手以外の人も車間の幅に目をこらすものだというのは前回の旅行で学んでいて、でも具体的に何を見ればいいのかわからないので対向車の女性の表情を盗み見ていた。後で日記に書くときのためでもある。やや視線を落とし、とても静かな表情だった。それがこの後に見た眺望より印象に残っている。

展望台のあと、まだ時間があったので「ハワイ移民資料館に行きたい」と言って寄ってもらった。宮本常一の本で読んだ「ハワイ帰りの家」。和洋折衷の大豪邸だった。旅先で旧家に入るのが趣味になりつつあって、この家は台所に大きなコンロと大きなオーブンが入っていたのが特徴的だった。ハワイで送っていた食生活を続けたのだろう。本にあった、東京より文明化が進んでいた部分というのはこういうことか。この資料館は屋代ダムのダムカード配布場所でもあって、我々が見学している間もカードを求めるダム好きが何人か来ていた。閉館前だったので今からダムに行って戻ってくることはできないし、ダム好きのHの見立てでは寄るほどのダムではなかったらしいのだが配布場所がここだったとは。カードをもらい損ねると行かざるをえないというダム根性に連れられ屋代ダムへ。現地へ赴いてもなお評価できるポイントが少ないらしく酷評。川や橋、そしてダムの側で表情を曇らせているHを見るのは初めてで面白かった。なぜ来たのかと思うが、カレー屋に置き換えると心の動きが完全に理解できた。写真を見ておいしくなさそうでも、ステッカーをもらい損ねることがあったらその後すぐ行ってしまうと思う。

18時ごろから周南の工場夜景を見にいく。小高い山の上から見るか、対岸から見るか。どちらも回ってみた。一カ所目の山頂についたときには日が暮れておらず、それはそれでいいよね風も強くて寒いし。ちょっと灯りついてるし。とリクエストした私すらそのような考えだったがHが粘りに粘った。地学、土木工学、そして社会基盤学の知識をもって次々にコメントし、あふれる体力と熱意で他3人の視界の外に駆けていく。そうしているうちに日が暮れて夜景を見ることができた。眺めの中で空気が揺らめいていて、遠くの灯りは滲んでいる。「なんか蜃気楼みたいなん見える」「私の目が悪いんじゃなかったのか」。静かな山頂でポツポツ語り合ったのとは対照的に、親水公園は音の洪水だった。機械の稼働する音がずっとしているのも工場夜景の醍醐味だ。しかし何より存在感があったのはクビキリギスの鳴き声だった。この虫は何年か前にベランダに飛来して一晩中鳴き続けたので名前がわかる。その話もした。 21時ごろにビジネスホテルにチェックインし、近くの居酒屋で夕食をとった。TとHは獺祭を飲んでいた。梅しそピザとか、豆腐グラタンといった和洋折衷の創作料理がやけにおいしかったので早々にウーロン茶に切り替えて気になる料理を片っ端から頼んだ。他の3人が自家製プリンを頼むとわかったので「かわいいケーキセット」にしたらこれもおいしかった。自家製ではなさそうだが、どこから仕入れているんだろうか。入り口のホワイトボードに、店長が急に亡くなってしまったと書いてあったがこの店はこれからどうなるんだろうか。「かわいいケーキセット」を運んできたバイトの男性、たぶん二十歳そこらで料理名を言うのをちょっとだけ嫌そうにしていたのもよかったな。プリンと迷ったけどかわいいケーキセットを頼んで本当によかった。