2024年10月某日

ミッシェルガンエレファントとか聴きますか、と尋ねるとTさんの眼鏡の奥の目がきらっと光って、「聴くも何もDVDとかも持ってるよ」と返ってきて本当に言ってみてよかった。毎日職場で隣り合って座っていても知っていることは少ない。「近くで展示やってますよ!」とあれこれ説明。一個人の私物のお宝グッズ展であること、19時までであること、週末までであること、今日行くか明日行くか迷っていること。話しながら心が決まってきた。木曜の今日行く。明日は混みあうと思われる。

18時に職場を飛び出して展示会場のカフェへ。先客が2人いて、そのうちの女性はほどなくしてクッキーを買って帰られた。スーツ姿の男性が「仕事を抜け出してきたんです」と笑う。この人は私が「キャンディ・ハウス」の昭和歌謡レコード風のジャケット(「涙のキャンディ・ハウス」)に対し「こんな売り出し方をしてたなんて」と驚いていると「さっき主催の方ともお話しましたけど一種のシャレらしいですね」「ポスターがこれなんで…」と教えてくれた。全員黒いスーツ姿で横並びに立っている、というイメージが固まる前の初期の凝ったデザイン(この指摘も会場で交わされていたもの)。床がチェッカー柄のダイナーかバーのようなところで撮られた私服姿のメンバーのスナップがあしらわれている。ここでリピーターだというお客も現れ、2003年の年賀状の写真(近鉄名張駅前に4人が立っている)のいきさつなど総出で説明してくれる。お客なのにどこに何があるか熟知していて、膨大なファイルの山の中から「ほら、天満駅前での写真もここに!」と開いて見せてくれる。最後はライブの思い出の話に。「(映像だともっと近くからはっきり見えるけど)人の頭の間から覗き見たのが私の中のミッシェルなんです」という主催の方の言葉が印象に残っている。

翌日の昼休み。「めちゃくちゃ楽しかったです」「お客さんも楽しそうでした」とTさんに話す。「今日は行けないし、土曜もギリギリ…」と渋るのを「時間休とりましょう!やっとくんで!」と送り出す。着々と仕事と身支度(丹念にメガネを磨いておられた)を済ませて16時ぴったりに退勤された。こういうのは思い入れのある人が行くのがいいのだ。私はミッシェルに思い入れがあるというよりはたぶん、展覧会が好きな人。

私は9mm Parabellum Bulletに思い入れがあるが、こうしてスマホで打っても予測変換で出ないし、ミッシェルガンエレファント(←あ、ミッシェルもアルファベット表記では出ないな)くらい神格化されたバンドだったらこういうイベントで一生盛り上がれたのかもしれない。どうしてミッシェルが神格化されたのかを考慮していない無神経な物言いではある。あと、恋愛しなくていいし前を向かなくても感謝しなくても元気を出さなくてもいい9mmの歌詞に救われたのは確か。(このまま追い続けてもラブソングしか歌わないんだろうなと思って花風を最後にaikoのCDを買うのをやめた中学生だった。今はまた違う視点で、のんびり興味を持てるようになっている。)情景描写が、他人事がありがたかった。こんなに何のメッセージも受け取りたくなかったのに洋楽を聴こうとしなかったのはなぜなのか。何を歌っているかは知りたいということなのか。

□高島鈴「布団の中から蜂起せよ」
「かわいいは作れる」「NEOかわいい」に対する、そもそもかわいくないといけないのか?という疑問。そして儀礼嫌い。「マシなアジテーションはあっても良いアジテーションは無い」という考えを持つ筆者のアジテーションに感化された。

布団の中から蜂起せよ: アナーカ・フェミニズムのための断章

□竹端寛「ケアしケアされ、生きていく」で語られていた「迷惑をかけてはいけない教」のことも思い出した。

ケアしケアされ、生きていく (ちくまプリマー新書)

支配する側に都合が良すぎる教え。横じゃなくて、下じゃなくて、上を見る。職場の人事評価システムへの入力期日が昨日だったが、居眠りしたり、デスクトップのアイコンを並べ替え(日によって自分のイニシャルのアルファベットだったり、なぜか卍だったりする)て暇つぶしするようなジジイを何人も終身雇用しておいて何が目標設定だ。ちゃんちゃらおかしい。成長しなくてはいけないわけがない。秒で終わらせて適当にこなしてやる。なぜそんな職場にずっといるのか、転職しないのか。それは私が決めることです。