20240415数に溺れて

「数に溺れて」の本編中にずっとモーツァルトの二重協奏曲が流れている…と思ったらエンドロールで1stViolin、2ndViolinというふうに奏者のクレジットがあったので映画と共にサウンドトラックが制作されたことがわかった。マイケル・ナイマン作曲。実演動画を見て初めて二重協奏曲の第2楽章の要素がばらばらになって繰り返されていることがわかった。 先々週の末に見た映画が「灯火は消えず」で、例えば母娘の確執を表す「いらない。食欲ない。」というセリフなどあまりにもステレオタイプで辟易したのだがいいところを探せば沢山あった。主演女優の演技に圧倒され「よっ!香港の大竹しのぶ!」というような喝采も頭に浮かんだ。海外映画がベタでステレオタイプでリアリティに欠けていても許せるのは結局下に見ているからではないか? そういう流れで私はもっと荒唐無稽な映画が見たかった。ベタでもステレオタイプでもなく、リアリティなどある訳がない。衝動的に夫に手をかけると、たった3カウントで溺死してくれる。それが3度繰り返された。こういった実験的な作品は(少なくとも私にとっての)笑いどころを持っていることがあるが、そういえばほとんどなかった。 三世代の女性のいささか身勝手で奔放な連帯を目にした後、シネ・ヌーヴォの女子トイレに入る。ここは数年前の改装時に男女間の壁をぶち抜いて個室を2個から3個に増設している。3個目の個室に入るとタイルが青い。男子トイレの方はどうなっているかわからないが、1個個室が減っても小便器で回せるという判断だったのだろうか。英断だったと思う。ありがたい。壁の切り口はあまり加工せずそのまま残してあってパンチのある見た目。領土が広がったようでいつもホクホクした気分になる。 帰宅してN響の二重協奏曲の演奏動画を再生し、ソリストもオケも「おっさんばっかりやな」とくさしてこんにゃくとしいたけを炒めた。弁当のおかずにする。店村さんすごいけど。今在阪オケの演奏会に行ってこんな男女比であることはまずないが、N響は久しく見ていないので知らない。6月のチケットは手元にある。服部百音さんは元々こんなおっさんだらけだったオケに企画を持ち込んで仕事をしているのか。