20240312

これにて終了です、お見送りはできないんですが、こちらからお帰りくださいとCちゃんが茶室の戸という戸を開け放すと、真っ暗な庭園が広がっていた。その瞬間冷気が吹き込んだはずだが、お茶会中も室内には隙間風がそよいでいたので視覚の変化の方が大きかった。夜の花園中央公園を訪れる人は少ない。静寂の中Cちゃんのお点前を眺めていると、カタカタと木戸が風に揺れる音が耳に入ってきた。誰かがはしゃいでいるのか、怪鳥の鳴き声のような奇声も遠くに2回聞こえた。今日のお茶会は初心者向けの体験イベントで、非日常の空間で心のデトックスをしましょうと案内には書かれていた。非日常でありながら日常と地続きであることが感じられるひとときだった。志賀直哉が高畑の自宅に茶室をつくったのがわかる気がする。靴を履いて、遠くの灯りを頼りに飛び石を辿って、しんとした夜の住宅街を駅まで帰った。閉館アナウンスが流れていたからCちゃんは大急ぎで茶器を片付けてひとり、大荷物で帰路につくのだろう。着物でそれをこなすとは…。電車だろうか、さすがに車だろうか。

 

年末の飲み会で、会社をやめて個人で仕事をすると言っていたCちゃんからハートマークのたくさんついたメールが届いた。リンクからnoteの記事に飛ぶとアイコンの中のCちゃんは着物姿でパールピンクのノートパソコンを携えていた。読めば読むほど要素がテンコ盛りの謎イベントに思えたが行ってみることにした。フォームの送信ボタンを押すまでの数日間、記事に使われているちょっとした単語に対して距離をとっておきたい気持ちとCちゃんに対する親しみの間で心が揺れ動いた。揶揄することは容易い。実際にやる人が一番えらい。実際に参加してみるとバランス感覚に優れた人の企画という印象だった。茶道の専門的なところを端折るところは端折って、参加者の興味のありそうなところは広げて。お茶会はお点前を見るものなんだと知った。黙って見つめられても終始堂々としているが、こちらが気圧されるようなことはない。これが作法というものなのか。イベントの特色となっているトークコーナーでは、私が話しづらそうにすると楽しい感じに質問を変えてくれる。Cちゃんが自分で作り出した仕事をしているところを目の当たりにして、この人はどこでも生きていけるし、なんだってやれるんだと思った。僻みや羨望とは違う、自分の体温がちょっとだけ上がるような感情が生まれたことを覚えておきたい。