20230903

駅の改札を抜けて階段を降りると、見知った後ろ姿がチェロケースを背負い、さらには右手にスーツケースをひいて商店街のアーケードに入っていくのが見えた。昨日22時くらいにやはりこの駅で「また明日」と別れたばかりだが、半日もしないうちにまた一緒になった。アーケード内のマクドナルドで朝マックをしようかと思っていたが計画変更。こちらへ振り向いたので私が視界に入ったはずだが、ピンときていない様子。おはようございます、と声をかけるとようやく認識してもらえた。マスク姿だからだろうか。電車を降りた瞬間にはずしていたマスクを、後ろ姿を見つけた時にまたつけていた。職場では金曜日に新型コロナウイルスに感染して休んでいる人がいたからだ。2年前に知り合ったが、Bさんの中で私は素顔で認識されているのだろうか。スーツケースには本番衣装の礼服一式と、開演前にもぎりスタッフをする時用のジャケットが入っているという。「礼服のジャケットはぶかいから」「え、なんて?」「ぶかい、身体に合ってないから野暮ったくなるかなと思って」。徳島弁だろうか。だいたい「ぶかぶか」と意味が近そうだが「それが『ぶかい』なんですね」。演奏時は肩や脇にゆとりが欲しいからぶかいジャケット。Bさんは単語で方言が出ることがあって、というか徳島の言葉はアクセントが関西風だということを私はチャットモンチーのメンバーの話し言葉で知った。だから単語が出てくるまでそれと意識しないがBさんはずっと徳島弁で話している、のかもしれない。聞き返してもすぐには言い換えないので、ニュアンスが出ないんだろうな、ニュアンスを大事にしたいんだなと共感している。以前焼き鳥屋に行った時に「適当に頼むよ、つくね〜」「いる」「いる」「皮〜」「いる」「いる」と応答していて、「肝〜」に対してBさんは「いける」と答えた。「じゃ3本」とまとめようとすると、「いや、いけるから」。いけるニアリーイコール大丈夫→いりません という事があった。

本番会場着。朝9時前のコンサートホールは大体出演者かスタッフしかおらずひっそりしているものだが、ここは違った。この時間に楽屋口ではなくてエントランスホールから出入りできる。ガラス張りになっていて明るい。パン屋のカフェスペースで朝食をとっている家族連れもいる。すぐそばの公園に遊びに来たのだろうか。この暑さなので、車で立ち寄っただけなのではないか。パン屋でプレッツェルクロワッサンとベーコン・エピとヨーグルトマフィンと自家製マシュマロを買った。店員が私の出したエコバッグに詰めてくれながら「これ、いい大きさですね」とほめてくれた。無印ですと返した。千円でお釣りが来たかどうか。昨日リハーサルに来た時に買ったフォカッチャがおいしかったので奮発した。これがフォカッチャというものなんだなと思った。5年ほど前、もう今は辞めた人に職場で超熟のフォカッチャを分けてもらったことがあった。惜しい味!あとちょっとなんですけどね、と。その時から惜しくないフォカッチャとはどういうものかずっと気になっていた。

クロワッサンを食べようと楽屋に入ると、高校の部活の後輩がいた。5つくらい下なので一緒に活動していた訳ではないのだが、私がOG出演をした時に出会い、約10年後に同じアマオケの団員をしている。昨日帰りに見かけて一緒に帰ろうとすると、本番会場近くにホテルをとったそうで途中下車していった。どっちが休まるかわからないけど、一度やってみると言っていたので「次もまたホテルとる?」と声をかけると、早い時間にお風呂に入れて嬉しかった、でもIMP.メンバーのインスタライブがあったので結局遅くまで見てしまいました、との事。ジャニーズJr.がわかるようになってよかったことのひとつが、この人との話題ができたこと。

今回の演奏会はやたら難曲をブチ込んだプログラムに取り組むことになり、個人的にもアマオケ全体としても暗中模索の半年間だった。準備が追いつかず、うちのオケの扱いがうまい指揮者の先生ですら練習時間を超過したり計画どおりに進められなかったりした。「あー4楽章できなかったわ~、ごめんね!」そして新しくできたホールのソフトハード両面での不安。お盆明けくらいから、早く終わってくれと部屋でひとり何度も口に出した。それが昨日の本番会場での練習から楽しみに変わった。思ったより音響がよかったのと、そのことを先生がことさら喜んでみせ、そのことで先週まで苦戦していた課題が解決しつつあるということになったので団員の心と身体がほぐれた。打ち上げ会場で先生は「苦言聞きたい人いますか?いないですよね、じゃ絶賛モードでいきますかね」と話し始め、やんややんやの大喝采となった。苦言バージョンを聞かせてくださいと、ビールグラス片手に先生の隣に行けばよかったな。いますか?のところで「いないで〜す!」と大きな声でレスポンスした人間が普段どのような演奏をしているか。生涯学習とは何なのか。先生が話す中、「これが絶賛モード…」とつぶやくのが精一杯だった。絶賛モードでいきますかね、とあらかじめことわってくれるのが先生の良心なのかもしれない。

本番前、上手の舞台袖には低音パートの人々が控えていた。楽屋が遠いのと、楽器が大きいので袖にずっといる人が多い。譜読みする人、音を出さずに楽器を構えている人、本番衣装で赤ちゃんを抱いて、小窓からステージ上を見せている人。あぐらをかいて譜読みをしているとフッと照明が消えて真っ暗になった。キョロキョロしていると「ハッピバースデートゥーユー♪」と小声で歌いながら通り過ぎていくY。すぐに照明はついて、Yも去った後なのだがしばらく感じ入ってしまった。なんの仕込みもせず、あの一瞬で演出をつけて去るとは…。