0805-0806

2023年8月5日(土)
 車内の床には朝日が窓枠の形に照っていて、しばらく走っても形が変わらない。歩き始めたばかりの子がその中にそっと足を入れて立って、すぐに出た。頭に「光の中に立っていてね」と浮かぶ。音源を聞いたことはないのにいつまでも心に残るタイトルだ。

 北伊丹駅に着いて電車のドアが開いた時、飛行機の音がゴーッと入ってきた。そういえば伊丹空港の最寄り駅だった。まだそこから飛び立ったことはない。
 10時、市立伊丹ミュージアム前で大学オケで一緒だったMと待ちあわせ。開館を待つ人の日傘、そしてワンピースの間から、サーモンピンクの楽器ケースがちらりと見えている。「鹿児島睦 まいにち」展。ファブリックブランドとも仕事をしている作家の展示を見に来たお客もそれぞれおしゃれしているのがなんとなくわかる。展示を見て、お昼を食べて、いたみホールにて企画オケの練習に出るという欲張りコースの始まりだ。自動ドアが開いてひとり入館するたびに、吹き抜けに吊るされた涼しげな色合いのモビールの魚達が揺らめく。
 チケットカウンターに楽器を預けて展示室へ。預けた楽器に付けたクリップと同じ色、番号の札を渡される。この札がまず花型、抹茶色で大きめのボタンのようでかわいい。展示室に入ると、直径も深さもあるお皿ひとつひとつの容量、その数、緻密な絵付けに圧倒される。お皿の置かれた平台のまわりをMと何周もする。描かれた動物によって絵柄のバランスがあって、猛禽類がポップだったり馬が神秘的だったりする。かと思えば草花と一緒に写実的なムカデがあしらわれている作品もあり、気が抜けない。壁には絵付け作業について説明するパネル(木の板の上にひと回り小さな紙が貼ってある)があり、工房での鹿児島氏の姿が。「おしゃれな髪型」「工房行くときに家でセットするんやろな」
と言い合う。濃い青色のシャツを指して、「綺麗な色…こんな色の服なかなか見ないですよ」とM。鹿児島氏の色彩感覚の繊細さ、鋭さは作品にも現れている。色とりどりでありながらその一色一色があわいの、名付けがたい色で、組み合わさったときに統一感がある。衣服やリネン、お菓子の包み紙(和洋問わず!)等の商品デザインの仕事も見事。

 しかし我々の興味は徐々に展示室の空間デザイン、そして鹿児島氏自身に向かいつつあった。透明なトタン板に緑色の明朝体フォントでインタビュー内の発言内容が抜き出されていて、こだわりがあって何万字も語れそうな作家なのに見過ごされそうな見せ方に興奮。
 Mが鹿児島氏の動いている姿を見たがり、数十分間後にそれは叶った。展示の最後に小さなモニタが2枚あり、定点カメラ2つで作業中の鹿児島氏をとらえている。手には一番最初に見たモビールが!にくい演出だ。そばの展示ケースにはインスピレーションを受けた絵本、カード、民芸品、ぬいぐるみ等の私物が展示されている。海外のものが多い。愛情あふれる作家自身によるキャプションにもグッと胸をつかまれ、いつまでも見ていられる内容。

「もう手に入らないようなものを見せてくれてる!このコーナーが一番貴重!」とまたふたりで興奮。美術館の中で、あまり他のお客が立ち止まることはないパネルやトタン板や棚の前でMが一緒になって興奮してくれる。さらに美術館を出て一言、「すごくよかったです。この展示はどうやって知ったんですか?」私もチラシを見て初めて作家を知ったと返すと、「また連れて行って下さい!」胸がいっぱいになって、わかりました!とかしこまってしまった。
 JRと阪急の間のタリーズコーヒーで昼食。フロアの奥の様子は見通せないが、入口側にそこそこ安全に楽器を置けそうなテーブル席があり、目星をつける。すると、Mがレジ前の人垣をかき分けて通りに面した窓のほうへずんずん歩いて行く。ゆったりしたソファ席が空いており、そこへ着く。私はサーモンのサンドイッチとジンジャーティーソーダを注文。間食用にホワイトチョコチップクッキーを買ったら1600円を超えて驚く。通りでは横断歩道のはるか手前の木陰に身を寄せて信号待ちをする歩行者の姿。ふと隣を見るとMがソファ席設計の低いテーブルにかがみ込んでスパゲティ(ペスカトーレ)を食べていた。移動するか尋ねると、この席がいいんで頑張りますとの事。脇目もふらずこの席に向かっていたもんな。服をソースで汚さずに完食していて見事だった。カーキ色のズボンに、ストライプ模様のブラウス。その時のMの服装が頭に残っている。
 練習が始まって終わった。「はい、ではまた明日!」予定時間より1時間以上早く切り上げられた。今回の指揮者の先生が、練習部屋の時間枠にとらわれずに練習の流れや雰囲気を優先して練習時間を設定しているのが新鮮。どこまで手を入れて、どこまで個人に任せるか。そして明日、本番会場で本番当日にどういったリハーサルをするか。視野を広くもって段取りされているのを感じる。ただ、小さな子供がいて夫婦でかわりばんこに練習に参加していた友人が気になった。かわりばんこというか、様々な兼ね合いがあるのだろうがずっと夫のターンで、今日やっと妻が練習に出てこられたのに。
 帰路、淀川で花火大会があるので阪急は避けてJR。車内では双方浴衣姿のカップルが「いや〜、おっぱいが潰れる〜」「怖いから〇〇君にやってほしい」と乳がんのエコー検診の話をしていた。男が医者らしい。どんな話題でも乳繰り合えるものなんだな、としばらく聞く。楽器を持って満員電車に乗ると、楽器を支えるのに手がとられて、ある種手持ち無沙汰になるのだ。予想に反して大阪に到着するまでずっと乳の話を続けていた。乳首は再生できるのかとか。
 乗り換えのため降りると大阪駅のホーム、コンコースともに厳戒態勢のようになっていた。駅員の増員、16時以降の女性専用車輌の一時取りやめを知らせる構内放送、そして人人人。皆、思った方向に思った速度で歩けないので殺伐としている。目から矢印のビームを発射して人々の間を抜けられるようルートどりをする。ルートが崩れないうちにお腹に力を入れて一気に走り抜ける。こうしないと背負った楽器にぶつかられる。その多くが故意ではないにしても。
 帰宅、風呂。NHKFM「クラシックの迷宮」は「人間をかえせ」と「原爆小景」をとりあげていた。部屋を暗くし、カーテンを開けて、窓から花火を眺めた。日本語の合唱曲は歌詞がガンガン頭に入ってくる。「私が何をしたというのか」

2023年8月6日(日)
 Twitterのタイムライン上で、早朝から藤岡亜弥さんが広島平和記念公園周辺の写真を撮って出ししている。これは一日中続いた。早朝に喪服姿で式典の準備に追われる人々、夕暮れ時に川沿いでお酒を飲む海外旅行者。
 川西池田駅に降り立つ。今日は企画オケの本番。ひと月ほど前、祖母が息を引き取った病院の最寄り駅もここだった。今日も変わらず凶暴な日射し。陸橋には日よけの庇がついているのに、橋の隅々まで射し入り、照りつけている。陸橋を降りると、横断歩道の信号待ちがきつい。そんな中、みつなかホールまでの歩道に沿って点々と埋まる音符のレリーフが私を癒やした。当時の川西市の期待の高さがうかがえる。開館は1996年。ロビーもホールの内装も装飾が豪華。この日も「今新築してもこうはならない!古城のよう!」とMに言うのだが、言った瞬間1年前来た時にまったく同じことを言ったことを思い出した。

 入館してしばらくすると、楽屋のフロアにスーツケースをひいた見慣れない男性が現れた。80歳を超えているのではないか。階段はきつそうなので、エレベーターを目で探した。てっきり個人利用の市民が迷い込んだのかと思ったが、私達の演奏を録音するために呼ばれた人だった。スーツケースの中にはどうやって収まっていたのか不思議なくらい大きな録音機材、何本ものマイクが詰まっていた。ホールの客席の最前列に座り、マイクを立て、大きなヘッドホンをし、機材のモニタから目を離さない。パソコンはなかったと思う。今まで出演した演奏会では、ホールスタッフにCDロムを渡して備え付けのマイクで撮った音源をもらうという方式だった。彼が奏者に視線を送ることはないのだが、強烈な存在感があった。休憩時間には指揮者の先生と話し込む。古いつきあいで、現役時代に一緒に仕事をしたことがあると想像。
 リハーサルが終わって楽屋へ戻って昼食をとる。10年ぶりくらいに共演する、大学オケの同期夫婦が「これ食べる〜?」とブルボンのバームロールをくれた。昨日練習が終わってからスーパーに寄って、私とMと食べるために小分けになったお菓子を探したのだという。久々に食べたらしく、「甘っ」と夫婦で苦笑していた。開場したので客入りを見ようと客席を映すモニタに目をやると、さっきの席に録音技師がもう座っている。私物の機材をセッティングしてあるので離れられないのだろう。
 本番が始まって終わった。演後のロビーで、打ち上げ会場で、口々に「いい本番だった」「去年よりよかった」と言い合った。まず団員ひとりひとりの心の中に手応えがあって親しい団員に言う。お客さんから「よかった」という感想をもらってそれをまた団員に話す。そうやって増幅された感想が何度も回ってくると、本当によかったのかもしれないと思える。久々にホクホクした気持ちになれた。ただ「よかった」と言われても信じられなくなってしまっているのだった。今回は自分の実感がともなったということなのだろうか。では、なぜ実感が得られたのだろうか。前日の日記を書いていてわかったのは、団員の演奏技術と課題と練習時間のバランスの問題だということ。いいバランスを実現させられるような選曲の仕方があるということ。ドがつくほどの定番曲をやれば経験値による余裕があちこちに生まれるということ。
 「指揮振ってるとね、こちらを見上げる皆さんひとりひとりと目が合います。それがね、もう…パラダイス!」と先生。一同大喝采。演奏中、こんなに笑顔を向けられることはなく、胸がいっぱいになって手元が怪しくなる程。Mもそうだという。そのことを同じテーブルの人に言うと、「視界に入れているけど直視はしてないよ」とコツを教えてもらった。また来年参加しようかな。