なにを着て生きていくか

飲み会にて、ほぼ話したことのない人がたまたま近くの席に来て「僕の大学の友達にめっちゃ似てるんですよ」と話しかけてくる。きっと目の離れた人なんじゃないか、と話を聞いてみる。写真ないかな、ほんとにそっくりなんですよ、とLINEのトーク履歴を辿っているのを横目で見ると四角い吹き出しがぽんぽんと並んで活発にやりとりしているのがわかる。ないですね、とパッと画面を閉じて、髪型と眼鏡の感じが似てて…黒井さん見てて、こういうファッションすればいいのに〜!と思ったんですよね。と話は続いた。なんかいつも虫取り少年みたいなんですよ。でも僕だけがその子の可能性を知ってるんです。

 

あした、なに着て生きていく?というコピーは数年前にアースミュージックアンドエコロジーが掲げていた。本当に、なに着て生きていこうか。大問題だ。思わず店の前で立ち止まったのを覚えている。だからファッションを褒められるのは嬉しい。ファッションの趣味が近い人に言われるのもいいが、その学生さん自身の趣味は私とさほど近くなさそうだったのがグッときた。自分の趣味ではないけれど、私のような格好の人間が身近にもうひとりいてもいいと思ってくれたのだ。近くにいた人は、「黒井さんそんなに特別な格好してますかね?割と普通じゃないですか?」と言っていた。見る人によってはなんてことのない格好でもある。これはもうゴールじゃないか?30年以上にわたって衣服について考え続け、こういう到達点を目指していたのではないか?椅子取りゲームの輪からいつの間にか外れて、部屋の隅のちょうどいい高さの台に勝手に持参した座布団を敷いて座っているような。

 

軽量化をはかったり、すぐに駆け出せるようにしたり、冷えを防いだり、向けられた期待をはぐらかしたり、消費行動に疑問を抱いたりしているうちになんかいつも虫取り少年になる道筋が私には見える。複雑な心境ではある。どこかの大学で研究をしている、私と似た見知らぬ女性の衣生活を思った。