20240911

身体に熱がこもっている。映画が終わったのは16時すぎだったがもう遊ぶ気になれない。ストリップ劇場、気になるブックカフェをパスして私鉄に乗り換える。スーパーに寄ってヨーロピアンシュガーコーンの代わりのセンタンの類似商品、冷凍うどん、ノンアルコールビール、キリンのスプリングバレーを買う。「ナミビアの砂漠」で河合優実が、彼氏の手製のハンバーグを無視して冷凍庫から取り出して食べていたコーンつきのアイスの美味しそうさが原動力となって私をスーパーへ運んだが、冷蔵庫の中身と献立を勘案する頭が回らない。帰宅して冷凍庫を開けると2週間前の台風の停電に備えて凍らせたペットボトルが2本出てきた。冷蔵庫の電源がなくなった時に保冷剤となるらしい。取り出してヨーロピアンシュガーコーンジャナイと冷凍うどんのスペース確保。手拭いを巻いて脚の付け根を冷やした。

 

平日にとってあった代休に何をするか迷って、結局見たかった映画を2本見た。どちらも2時間超え。昼食は中津の商店街まで歩いて「太陽と月」にダルバートを食べに行った。ビルや高架の陰から陰へ走ったが、ほんの数秒で茹だりそうだった。貝柱?が入ったダルバートの副菜は初めてかも。黄色いタレも、ダルに入った細長いスパイスも知らない香り。ヨーグルト的な小皿はなかった。職場近くのカレー屋のチュカウニはありがたい一皿なんだということを、よそのダルバートを食べてわかった。客席はそうでもないがキッチンやレジまわりが極小で収納が面白い。シェフの頭上に冗談のように薄く小さなベニヤ板が渡してあり、グラスがみっちり伏せて置かれていたりする。新店が次々にできるので、タブレットではなくフルサイズのレジがあるカレー屋は老舗だなという感覚。

 

ナミビアの砂漠」終盤の取ってつけたようなシスターフッド、取ってつけたような唐田えりかパート。敢えてこう表現する。好きなシーンをいくつも見つけることができた作品だが、あのパートにだけは置いていかれてしまった。冒頭のカフェでの打ち明け話に割り込む「…紙ストローだ」など、絶妙に現実的なセリフの数々。それらとは明らかに違う、いかにも邦画の登場人物のセリフ、急なたとえ話。縋り付く元彼の「傷つけたんだよね?」を「そんなんじゃ傷つかない」と撥ねつけたように、「ポッと出の人にいきなりもっともらしい事言われても納得できない」となってほしかったところだ。物語が収束しなくなるが。

 

チャイコフスキーの妻」。話のついでにアマオケの友人に「見に行く。予告編から(予告編だから?)妻大暴れしてて楽しみ」と送っていた。チャイコフスキーに拒絶されると悲しげにするものの、基本的には終始誰の話も聞かないアントニーナ。チャイコフスキーが彼女の元を去り、代理人や弟達をよこして離婚を迫る。何人もの男に囲まれる中、部屋の窓ガラスが震えるような大声でそれを拒否!実家の母親には室内と思えないような大声でなじられ(遺伝か?)、自分のつけた弁護士には嬲られる。何の楽しみもない鬱々とした日々が続くが、チャイコフスキーを追い詰める立ち居振る舞いはかなり手強くて笑ってしまうほど。目はらんらんと輝き、浴びせる皮肉も尽きることがない。裸の男達に囲まれても全く動じない。友人に全く映画を見る気がないようなら「最高!かっこいいコンテンポラリーダンスシーンもあるしチンチンも5、6本出てくるで!」と書き送るつもりだったが見るかもしれなさそうな返信があったのでやめておく。あのシーン、なぜ裸である必要があったのだろうか?女性があらゆる作品内で無意味に脱がされてきたことの裏返しだという指摘は、スクリーンの男性の裸体に対する自分の違和感とともに迫ってきた。