身(生身。肉体。)のまわり

ひらかたパークの休園日なのに枚方公園駅のホームには外遊びの格好をしたグループが複数いた。改札を出た途端に太陽光線が目に痛かった。ぽんつく堂でノーパンZINE4を受け取って涼んでいると落ち着いた雰囲気の女性が来店。文フリの無料配布ペーパーをリソグラフ印刷しに来たのだという。ピカチュウがウッウ(鵜ポケモン)に呑まれそうになっている図案のトートバッグがかわいい。ピカチュウは怒りの表情を浮かべていてまだまだ戦えそう。紙もインクも心に決めてこられ、原稿も一部だったのですぐに刷り終わって帰っていかれた。完成したお品書きチラシを見せていただくと、新刊のラインナップがずらり。食のほっこり短編集から過激なお色気コメディまで。お品書きをツイート画像で見ても自分にとってよっぽど何か引っかかるものがないと「ふーん」で終わってしまうことが多いが、作風の振れ幅の大きさや、要素テンコ盛り具合が面白くて大いに盛り上がった。ほんの数分同じ空間にいただけなのに、生身の人間の発する情報は多い。

 

翌日会った友人の髪色がシルバーグレーになっていた。転職し、新しい職場に出勤するまで人生の夏休み。「新しい会社決まったこと、まだ他の人に言わないでね」と言った舌の根も乾かぬうちに「これこれこうで、髪をめっちゃ変な色に染めてやろうと思って」とその場にいた人に宣言していたのが先週のこと。何とも思わなくなったが、自分にはできない翻し方だ。ええやん何色にするん、と聞くと「銀とか」。こういう時はもっともっと、ええやんええやんと言いまくろうと心がけているのだが「まずブリーチしやんとあかんのちゃう」とか「手持ちの服似合わんくなるんちゃうん」(「…?別にいい。」いいのか!)とか全然言わなくてもいいことを言ってしまった。一億総茶髪の平成を長く生きていながら染髪をしないできたのは私も同じなのに。何色にするのだろう。見慣れなくともとにかく褒めまくろうと平日の間にイメージトレーニング。そして日曜の朝、娘の手をひいてエレベーターからシルバーグレーの頭で登場。本当に面白かったし(「何笑ってんだよお」「かっこいいかっこいい笑」)今も面白いし(娘さんの記憶に父親の派手髪姿は残るんだろうか)、次会った時(本当に綺麗に染まっていたが、持ちの悪そうなニュアンスカラーだった。カラーシャンプーとかするのだろうか)もまだ面白いと思う。

 

この友人は以前ひとしきり噂話(誰それが起業した、等)をした後、「いろんな人生を追体験できて本当にありがたい」としみじみと言っていた。こんな噂話の締め方があるかと思ってゲラ笑いしてしまったのだが、なんとなくその感覚がわかった気がする。知り合いの、やることなすことが興味深い。そうなると自分が身(生身。肉体。)のまわりの人にここに書いているようなことをほとんど言っていないのはどうしたことか。言う気にならないのはなぜなのか。