0701-0707

7/1(木)
起きた瞬間からだるい。足の裏に湿布を貼った。正直現時点ではお灸よりこちらの方がさっぱりする。7時過ぎだった。コーヒーをいれて、ピザトーストを食べた。ラジオからはハンガリー狂詩曲、ハンガリー舞曲(1番、3番、10番)が流れている。ハンガリー舞曲の10番は大学オケで取り組んだ曲。去ってから10年、今あそこに戻って弾けたら自分がどう感じるか想像したり、戻りたいとか考えるようになった。しかし意思疎通が楽だったのは、団員の境遇が似通っていたからに過ぎない。最近大学オケの先輩と何往復かメールをして、そういうことを考えた。やがて様子のおかしいブラ2のような曲が流れだしたのだが、後で調べるとコダーイの「マロシュセーク舞曲」だった。

家を出て、通勤電車の中で松田青子「おばちゃんたちのいるところ」を読む。

おばちゃんたちのいるところ Where The Wild Ladies Are (中公文庫)

装画は小幡彩貴。短編集の主人公がひとりづつ描かれていて、裏表紙まで続いている。内容とぴったりで、こんなに装画を見返したことはない。「悋気しい」の作中、りんごを次々に粉砕しながら、「パイにすればいい」「サラダに入れればいい」とモノローグが続く部分。痛快だった。

気に入らない人の隣に座ってしまうリスクをとらずに立っていたほうが読書に集中できるなという朝だった。そういうのは座ってからわかる。今朝の人はずーっとガサガサし続ける人だった。ちょんとスマホを触っては髪をいじり、髪をいじってはちょんとスマホを触り、足を組みかえ、いきなり「ハァーア」と発声し、スマホをしまってカバンからジップロックに入った何かを取り出し、またスマホをひらく。

職場にて、弁当のおかずはラタトゥイユ、パイナップル。昼休み、また緊急事態宣言が出て美術館が休業させられることを想定し、鑑賞計画を立てる。

やがて退勤。駅でTMと待ち合わせ。夕飯はラーメン屋で黙食。冷麺にのっているエビが、今まで食べた茹でエビの中で一番おいしい。なぜか殻ごと食べられる。他にお客はいなかったが、食べ終わるころに年配の男性がひとりで来て生小と三食そぼろ丼と南蛮漬け(何の?)を頼んでいた。その後サンマルクでお茶。ベトナムコーヒーがメニューからなくなっていることをいつまでも嘆くTM。もうサンマルクに存在意義を感じなくなったという。テスト前なので店内は女子高生でいっぱい。改めて和山やまは女子高生を描くのがうまいなと思った。髪の質量がどうしたってあの絵の通りになる。とにかく今はイオンを失ったイオンシネマの行く末が気になって仕方がないTM。どんなマンガの話をしていても最終的に「クレイジーフォーユー」の話になってしまうTM。左腕についている、セリアで買ったというバングルがかわいい。100円均一のバングル、わたしも持っていたがほとんどつけないまま捨てた。フリーサイズだから腕でゴロゴロして落ち着かなかった。という話をすると、これはちょっとだけ曲げて自分の腕に沿わせられます、と言いながらカバンから取り出したクロスで拭き始める。シルバー磨きクロスを持ち歩いているのかと感心して尋ねると、「いや、アルコールティッシュです。つけてみたらどうかと思って」と貸してくれる。かわいかった。やがてわたしのマンションまで一緒に帰り、エントランスでオタマトーンの譲渡。TMと別れてドラッグストアへ行き、卵、食パン、牛乳、冷凍ブロッコリー、冷凍うどん、マーガリン、ちくわ、カニカマなど買う。帰宅、風呂。TMからオタマトーンの番の画像が送られてきた。もともとTMが持っていたのが黒、わたしの持っていたのが白。


7/2(金)
7時半起床。コーヒーをいれて、レーズン食パンを食べた。体中がバキバキだ。人とたくさん喋るとお酒を飲まなくてもこういう感じの疲れがあったなと懐かしく思い出す。家を出て、通勤電車の中で「生きるための図書館」を読む。職場にて、弁当はぶっかけうどん。やがて退勤。図書館へ寄る。この図書館のクーラーの効きが悪いことを改めて認識するひとときとなった。帰宅。暑い暑いと声が出る。今日から夏だ。風呂。夕飯は餃子、壺ニラやっこ、亀田のカレーせん。金麦。


7/3(土)
7時ごろ起床。コーヒーをいれて、マヨネーズトーストを食べた。昨日くらいから、また緊急事態宣言が出たときのことを想像するようになった。追われるような気持ちで、29日に始まったばかりの国立国際美術館の展示を見に行く。

電車の中で一原みう「私の愛しいモーツァルト」を読む。

私の愛しいモーツァルト 悪妻コンスタンツェの告白 (集英社オレンジ文庫)

こんな帯がついていたのかよ。中身は構成もキャラクターづけもしっかりしていてとっつきやすく、ミステリ仕立てになっていて読ませる。貴族出身のモーツァルトと、庶民出身の妻。庶民は生活圏が狭いので手紙を書く必要がない。直接会って話せば事足りる。そのため文字や文章を書く習慣がなく、間違ってしまう。音楽の才能以外でも、こういった細かいエピソードの積み重ねで夫婦間のすれ違いが描かれている。また、当時の社会の慣習、階級の差、人々の感覚がわかるようになっている親切設計。アマチュア奏者がまだ存在しない世界で、弟子に展望を語るモーツァルト。弟子の反応が当時の常識と、モーツァルトの先見の明を表現している。

「Viva Video! 久保田成子展」
展示室に響き渡るアグネス・チャンの歌声は紅白歌合戦のものだった。「わたしのお父さん」は国立国際美術館の所蔵作品らしい。後半は水が流れたり、鏡に反射した映像の光が作品の外側へ放出されたりと、迫力のある作品が続いた。ヴィデオ彫刻とはこういうものか。子連れのお客もちらほら。

鷹野隆大 毎日写真1999-2021」

キャプションが面白い。 うろ覚えだが「ズボンが足元でからまっている」とか。 

ミュージアムショップで定期入れを買う。「フロシキシキ」という商品で、一枚のビニールシートでできている。留め具や縫い目はなく、ビニールシートどうしがくっつく性質を利用している。

昼食はマトンビリヤニ。豆とココナッツのカレー、スパイシー鶏キーマカレーがかかっている。副菜多数。酸っぱいジャガイモがおいしい。しかし、店構えのわりに味の印象が薄い。店を出て、コーヨーに(トップバリュ商品の)冷凍あさりが置いてあることを期待して行ったが、なかった。

むなしい気持ちになり、寄るかどうか迷っていたカロブックショップへ。大阿久佳乃「のどがかわいた」、<シリーズ いま、どうやって生きていますか?3>女・写真家としてという石内都のインタビュー本、ZINE「締め切りの練習」を買う。発売時から見送り続けていた大阿久佳乃、(10代の、中学校の、高校の)ただ中にいてどうしてそんなに俯瞰で見られるのか。ここに書かれているようなことをわたしはまだ消化できずにいる。お会計のときに少し話す。昨日くらいから暑さでハアハア息切れしながら来店するお客もいるし、アイスコーヒーがよく出ているという。「展覧会よかったです」「よかったですね、見られて」

15時、帰宅。16時にはまた楽器を持って家を出る予定だが、暑さでへとへとだ。牛乳に凍らせたコーヒーゼリーを入れて砕いて食べる。逆(どことどこが?)アフォガードのようでおいしい。18時から21時まで練習、明日も同じ場所で10時から練習。練習場の近くに泊まろう。大浴場つきのところにして、サウナにも入ろう。と思いつくともうそうするしかないという気になり、ビジネスホテルの予約。

練習が始まって終わった。22時ごろ、ホテルにチェックインしたのちコンビニへ。あたりは飲食店が閉まっていて、パチンコ屋の明かりだけが煌々と光っている。夕飯を選んでいると、大学生グループが宅飲みの買い出しに来た。レジの列に並んでいると、グループの女の子がわたしを挟んで「こんなボロボロの恰好で会いたくない」「地獄みたいな顔しとる」と前後で言い合う。はた目にはなんともないように見えるが、運動して汗をかき、雨にも降られたというところだろうか。わたしの前の子の手には「タラタラしてんじゃねーよ」が10枚くらい握られている。夕飯はセブンイレブンの冷製パスタとさけるチーズ。食後、念願の大浴場とサウナ。サウナのテレビのバラエティ番組では佐々木蔵之介が関西弁で喋っている。ニュース速報のテロップ。静岡・熱海市の土石流災害、6人救助。


7/4(日)
7時起床。何度寝でもしてしまいそうだ。洗顔すると顔がつるっつるになっていた。朝食に昨日買っておいたコーヒー、かにぱん、ゆで卵を食べるが、すぐまた手持ち無沙汰になる。家で聴いているラジオを流せばよかったかも。朝食バイキングがあればなあ。雨をいとわず外へ食べに行けばよかったか。大阿久佳乃「のどがかわいた」を読んだり、アマオケで取り組んでいる曲の音源を聴いたりする。アマオケの練習が始まって終わった。10時から17時まで。指揮者の先生が来られる。「オッサンの顔なんか見ても仕方ないかなあ」と言いながら「初めましての方もおられるから」とそっとマスクをはずして挨拶された。前回共演したのは2年前。感染症が蔓延しだしてから参加を控えている団員の座っていた席にエキストラの方や、新しい団員が座っている。休憩時間、「ちょっと楽器弾かせてよ」「次どこのメーカーの弦張ろうか迷ってて」と言われて何の気なしに貸すが、練習室のドアノブ等を消毒していることを考えると矛盾したことをしてしまった。感想は「ない」「僕の楽器と違い過ぎてよくわからん」。どう違うか聞きたかったな。基本的に他人の楽器を弾かせてもらうと「暴れ馬だ」と感じることが多いので、反応遅め、音こもり気味とかかな。昼食はトライバルカリーでとった。肉のたくさん入ったこってりしたカレーで、ビールというか夏に合う。副菜は豆ときのこと野菜の何か。これは非常にあっさりしていて、あまり他店で見ないもの。夕飯は卵かけごはん。壺ニラものせた。


7/5(月)
6時過ぎ起床。めちゃくちゃだるい。そーっと動いていると調子が戻ってきた。洗濯もできた。コーヒーをいれて、カニカマトーストを食べた。

通勤電車の中で文芸誌「園」を読む。2018年に出た号らしい。2年前くらいに富山のブックエンドで見かけたときは買うのを見送ったが、判型が好きすぎて買った。ゼロ年代の本を読んだ時に「震災も原発事故も起こっていないんだな」と思うのと同じように「新型コロナウイルスが蔓延していないんだな」と思った。
職場にて、弁当のおかずは小松菜、ウインナー、卵焼き。
夕飯は壺ニラ納豆ごはん。仕事から帰ったときに炊きあがるように予約炊飯してあれば何かしら用意してすぐに夕飯が食べられるだろうという算段だったが、何かしら用意する自分が留守。「横になるのは風呂に入ってから」となだめて風呂はすませられたが、料理をする気が起きなかった。


7/6(火)
7時半起床。二度寝がはかどった。コーヒーをいれて、チーズトーストを食べた。

電車の中で「国立国際美術館ニュース」を読んだ。久保田成子の作品はニューヨークにある久保田成子ヴィデオ・アート財団が管理しているらしく、展覧会の準備の苦労が綴られていた。設置の際は財団のスタッフがWEB会議ツールで展示室で指示を出したという。

職場にて、弁当のおかずはさといもゆかり和え、なすとピーマンとウインナーのソース炒め、卵焼き。この日はウレタンマスクを裏表につけていたので圧着してあるところののりしろが口にずっとあたっていた。

やがて退勤。スーパー1へ寄る。なすが安かった。オクラ、ゴーヤ、きゅうり、かぶ、豚肉、成城石井シンガポール風焼きビーフン、キャロットラペなど買う。このふたつは値引シールが貼ってあると必ず買ってしまう。帰宅。お腹がぺこぺこだ。なすと豚肉ときのこを炒めてみょうがの酢漬けも入れて丼にして食べた。風呂。その後オクラとゴーヤときゅうりとかぶの下処理。その後日曜の練習の録音を聴く。指揮者の先生の、うちのオケの扱いのうまさ。付き合いが長いこともあるが、圧倒的にうまい。団内指揮と練習を重ねているときとか、この先生ではない先生をお呼びするときによく覚えておいたほうがいい。天皇が今日までワクチン接種を受けていなかったことをツイッターで知った。あと、詳細は調べていないがEXITに失望している人もいた。


7/7(水)
7時半起床。コーヒーをいれて、きゅうりトーストを食べた。ラジオからはサンサーンスの「アフリカ幻想曲」が流れている。北アフリカのフランス領地をよく旅行していたらしい。

どしゃ降りの中家を出て、通勤電車の中で矢田部英正「椅子と日本人のからだ」を読む。

椅子と日本人のからだ

 

 医者と学者とメーカーが結託して、ひとつの理論で世界を支配しようとすると、経験的な歴史の上に積み重ねられた繊細な技術は、それが「言葉にならない」という理由で時代の波に呑み尽くされてしまいかねない。

骨太な本だ。

職場にて、弁当のおかずはカニカマ、いかフリッター、かぶのおかか炒め。昼休み、バンド「そこに鳴る」のカバー動画を見る。ORANGE RANGEアスタリスク。当時、全然好きではなかったが選曲されて嬉しい気持ちになるのはなぜなのか。

やがて退勤。どしゃ降りの中帰宅。風呂。夕飯はゴーヤ豚汁、白飯、おくらとごぼうのサラダ。すりごまが入っている。食後、石内都のインタビュー本を読む。「見える見えない、写真のゆくえ」展の最後の、暗室で作業している映像の中で自身の現像スタイル、作品の大きさについて「普通しませんよね」と言いながらフッと笑っているところがとても好き。自分に限らず、あらゆるものに対して一定の距離があるらしい。

ラジオからORANGE RANGEの新曲「HEALTH」が流れてきた。すごくいいと思った。滑舌がいいのもいい。ノリ(今思えば売り出し方?)が合わなくて毛嫌いしていたバンドに対してこんなに肯定的な気持ちを持てるようになるとは。

ツイッターを見ていると、緊急事態宣言大喜利投稿がちらほら見られる。確かNHKFM19時のニュースの終わりがけに「菅首相 「まん延防止」など扱いめぐり詰めの協議 8日に決定へ」この話題が飛び込んできた。NHKニュースウェブより、19時18分のニュース。その後21時7分に「東京に4回目の緊急事態宣言へ 期限来月22日まで 政府方針」。いまだに判断基準がよくわからない。大阪はいつまでもつか。野外音楽フェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021」も中止を発表。やりきれない気持ち、オリンピック開催に対する疑問を吐露するアーティスト。「音楽を止めるな」「フェスを止めるな」という音楽ファン。これらは今調べてわかったことで、最初にタイムラインに流れてきたのはこれらの対立構造そのものに疲弊したという投稿。

それとは別に、齋藤陽道のツイート
「思いをそのままツイートして消して、まだ収まらなくてなにか書こうとしても、どんなことばもむなしい。。」